カタリ、と手元で音がした……はずだ。だが自分の耳にそれは届かない。なにせいつも耳にあてている補聴器をサイドテーブルに置いた音なのだから。
だが不思議なもので聴こえるはずの音というものは感覚として聴こえたように捉えられてしまう。慣れとは本当に恐ろしいものだ。
「ああ、慣れとは恐ろしい」
ふと口元が緩む。慣れ親しんだ音が近づいてくる。ブルーは身体を反転させて彼を待ち構えた。
「ソルジャー!」
彼の大きな怒鳴り声は弱い鼓膜をも微かに振るわせた。だがそれ以上に彼の強すぎる思念のために口に出している言葉がそのまま脳裏に伝わってくる。
ああ、怒っている。元気でいい、などど言ったなら年寄り臭いと怒られるだろうか。
「ジョミー、どうしたんだい。今度もハーレイ? それともエラ? ゼル機関長かな?」
大股に近付いてきたジョミーは「誰でもない!」と腹立たしげに怒鳴った。
そして、それはどういう意味かと考えようとした時、すでに彼はブルーの胸の内にいた。
また力の無駄遣いをして、とジョミーの若さを皮肉ろうとしてブルーは止める。胸の内の彼はブルーより小柄の身体を押し付けて顔を上げようとしない。
「ジョミー」
「誰でもないんだ……」
大体の予想はついた。
思念波の訓練中に怒られ、短気なジョミーは怒りに任せて何かを破壊して飛び出してきたのだろう。いつものことだ。
「ジョミー」
名を呼んで頭を撫でてやる。
ジョミーが自分を不甲斐ないと感じることは無いのだ。ミュウとして目覚めて日の浅い彼を後継者に選んだのは自分、不甲斐ないと感じるべきは寧ろブルー自身だ。
「ジョミー、すまない」
「なんでソルジャーが謝るんだよ」
怒りを表すように背に回された手がブルーの服を握り締めた。
「ああ、ごめん」
その言葉は彼の怒りをさらに煽ったようだ。
フンと鼻を鳴らしてジョミーはむっとした顔を上げた。そして真正面からブルーを見つめる。
「ソルジャーは僕が必要?」
「ああ、もちろん」
ここに来て以来、なんどもジョミーがブルーへと問うた質問だ。
ブルーはすんなりと答えを口にした。答えがスムーズだからといって、それは真実だ。
「なら……」
「なら?」
ここに来ての新たな質問だった。
口ごもるジョミーにブルーは問い返す。
「なんだい、ジョミー」
モゴモゴと彼の口が動く。だがその意志は曖昧で思念では伝わってこない。
「悪い、ジョミー。今、補聴器を……」
ベッドサイドに置いたままの補聴器を手に取ろうとブルーはジョミーに背を向けた。
その背にドン、とジョミーが抱きついてくる。
(なんて言っていいか、わからないんだ)
背中を伝ってジョミーの思念が直に伝わってきた。
(ジョミー……)
(でも、いいや。そのまんまで)
いいやとはなんだ、と少々呆れる。こんなことだから短気のままなのだ。まったく。
だがブルーの気持ちをよそにジョミーは自分の思念を流し込んでくる。
どことなく緊張したジョミーの思念にブルーも落ち着かなくなる。
(……ブルーは、僕のことが必要?)
先ほどと同じ質問だが、彼の意図するところは違う。
彼が言葉にできないと言ったものがぼんやりとした波長でブルーにも伝わってきたが、そんなものは無くても理解できた。これが年の功というものだろうか。
「ああ、もちろん」
「ソルジャー、わかってないだろ」
あまりにもアッサリと答えすぎただろうか。
ジョミーは不審そうな声のまま、呆れたようにブルーの身体を離した。
その機にブルーはジョミーを振り返る。見えた顔は先ほどよりさらにむっとしていた。
その様子がおかしかったが今笑ってはジョミーの不況を買ってしまうだろう。ブルーは頬が緩むのをなんとか堪えた。
「いいや、わかってるよ」
その言葉に、呆れたようにジョミーは溜め息をついた。
「ブルー……あのなぁ」
「わかっているよ」
ジョミーの腕をとって軽く引くと、彼の身体はあっさりとブルーの胸に納まった。
抱きつかれたことは何度もあるが、自分からするのは初めてだ。案外上手くいくものだな、とブルーはジョミーの背に腕を回す。
「君に力があろうとなかろうと、ぼくにはジョミーが必要だよ」
生まれたころから見守ってきたジョミー。その姿に幾度励まされただろう。愛しくないはずがない。
少し身体を離してジョミーの顎を取る。すでに何度か経験済みだが、確認するように瞳を合わせた。
(僕にも、ブルーが必要だ)
口を開かずに伝わってきたそれに、とうとうブルーは堪えきれずに笑ってしまう。
(なんだよ)
「いや。ありがとう」
緩んだ頬のままブルーはジョミーに口付けた。