瞳を開くたびに僅かに安堵する。まだ生きている、生きられている。
ブルーは目覚めきらない身体を覚醒させるように小さく息を吐き出し、再び瞳を閉じた。いつのまにか止むことのなくなった頭痛がこめかみを伝い始める。
……疲れたな、と思う。
いついかなる時も我が同胞ミュウたちのために、とブルーはこの300年余りをソルジャーとして生きてきた。
そしてやってきた寿命。
地球への望みを強く追いながらも、自らの身体に軋みを感じて以来それに恐れを抱いたことはなかった。自分がこのときを待っていたのではないかと思うほど、ブルーは自身に迫る死をあっさりと受け入れた。
それは肉体だけではなく、精神が老いた証拠なのだろうとブルーは思っていた。
だからこそ自らの後継者に彼を選んだ。ジョミー・マーキス・シン、今自分の顔を覗き込んでいる少年を。
「なんだいジョミー」
瞳を開けて声をかけると、様子を窺うようにブルーの顔を覗き込んでいたジョミーはあからさまに驚いて身体を跳ね上げた。
「ね、寝てるのかと思ったんだよ」
照れているのか言葉をつかえさせながら、フン、とジョミーは鼻を鳴らす。拙い仕草に可愛らしさを感じてブルーは頬を緩ませた。
「それは悪かった。起きていたんだ」
笑いかけてまた瞳を閉じる。今日はどうも勝手がきかない。身体を否応無く襲ってくる疲労感にブルーは深く息を吐き出した。
「ソルジャー?」
言葉と共に不安げな思念が伝わってくる。どうやら気遣われてしまったようだ。
「大丈夫だよ、ジョミー」
なだめの言葉をかけるが彼の思念は変わらない。
やれやれ、ジョミーに誤魔化しはきかないか。
思念や感情に関しては不器用だが、殊こういったことに関して彼は聡い。非常に人間的だとも考えられるが、もしかするとフィシスに近い力を持っているのかもしれない。
「少し疲れているんだ、このままで話を聞いてもいいかな」
ジョミーは無言のまま少し考えてから「しかたないな」と呟いた。そしてブルーの横たわるベッドを背にして腰を下ろす。
「ダメだって言っても聞かないんだろ、頑固者」
「頑固では君に負ける。さて、今日は何を破壊してきたんだい」
笑いながら話をふってやるとジョミーは、ハーレイが、エラが、ヒルマンがといつも通りの名が並んだ愚痴を語りだした。今日はまた思念波の強化機を破壊してきたようだ。これで何台目だろう。
親しい人間の悪口だというのに、ジョミーの話はいつからかブルーの耳に優しく流れ込むようになっていた。今日など頭痛もわずか和らいだ気すらする。
そして穏やかに響くジョミーの言葉を耳に、ブルーはさらに深くベッドへ身体を沈めた。
「……ごめん」
語りきったジョミーが唐突に謝罪の言葉を口にする。
「どうした?」
「ソルジャー、僕のせいで」
膝を抱えたジョミーの脇でナキネズミが小さく鳴いた。ブルーは瞳を開き、背を向けたジョミーに片手を伸ばした。金色の髪を撫でる。
この穏やかなときをいつまで過ごすことができるのだろうか。目覚めたときに感じた恐怖が再びブルーに湧き出す。尽きかけた命、それが今は非常に惜しく……怖い。
癖のある金髪が指に絡む。小さくジョミーが頭を振った。
ジョミーに触れたからなのかもしれない。生命力溢れる彼の姿に過去の自分を重ねて、自分もあのように、などと憧れてしまった。
彼が自分の身体について罪に苛まれる必要は無い。だが今日だけはそれに甘えてみたい。ぼんやりとした思いが口をついた。
「ならば手を握っていてくれるかい、ジョミー」
「え?」
急な申し出に驚いたジョミーがブルーを振り返る。どうしたんだと疑わしげな瞳に苦笑を返す。
「いつこの命が途切れ、この瞳が開かなくなるのか不安なんだ」
ジョミーの顔が歪んだ。そして顔を背けてしまう。
「…ごめん」
「いや、君を責めるつもりはない。むしろ感謝している」
この命が惜しいと思わせてくれた。不安でもある、だがそれ以上に生きている時間が愛おしく感じられた。300年、自分の安らぎを求めたことなどなかったというのに。
それがどれだけ幸せなことか、今のジョミーにはきっとわからないだろう。おそらく、300年と共に過ごしてきたハーレイたちにも。
ダメかな、と笑いかけるとジョミーは急にムッとした顔をして身を乗り出しきた。
「怖いなら一緒に寝ればいいだろ」
ジョミーは乱暴にシーツをめくり、靴を脱ぎ捨てた。あまりに突拍子の無い行動でブルーは動くことすらできない。それをいいことにジョミーはブルーの横に入り込んできた。
「ジョミー!」
「もっと詰めてよソルジャー」
強引な指示になぜだか身体が動く。あっというまにジョミーはブルーの隣りに身を沈め、「ふかふかだ」などと寝心地の感想を言い始めた。
「ジョミー……」
困りきって声をかけた。だがブルーに向けられたのは得意満面といったジョミーの表情だった。抵抗感の欠片も彼にはないらしい。
「これで平気だろ」
「平気って」
ため息をついて仕方がないと諦めた。この状態のきっかけをつくったのはそもそもが自分だ。
それにこうなったジョミーは誰にも止められない。生まれた頃から見守ってきたのだから彼の頑固は間違いない。
昔…、とふと思い出す。
「そういえばジョミー、君はよくママのベッドに潜り込んでいたね」
「え?」
その頃のジョミーを思い出すと、自然と頬が緩む。短気で乱暴で甘えん坊だったジョミー、毎日のように母親から叱られ、休日には父親を巻き込んでイタズラに興じていた。
「やんちゃで怖いものなんてないと言って憚らなかったのに、怖い夢を見てはママのベッドに潜り込んでいた」
怒りと恥ずかしさから見る間にジョミーは顔を赤く染めた。掴みかかるように身を乗り出してジョミーがブルーを睨みつける。ブルーはそれがおかしくて仕方がなかった。だからつい話を続けてしまう。
「いつの話だよ!」
「パパにからかわれては『ママが怖い夢をみないようにいてあげてる』なんて言っていたね」
極限まで赤くなったジョミーが口を尖らせ、嫌そうに眉間に皺をよせた。
「なんでそんなことまで…」
小さく呟いてジョミーは二人の間にあった枕に顔を沈めた。
あまりにおかしくて楽しくて幸せで、ブルーは声を抑えずに笑った。拗ねきったジョミーがさらにブルーを睨みつける。
「ジョミー」
「なんだよ」
身体を寄せてブルーは自らの額とジョミーの額を触れさせた。ジョミーの額はわずかにひんやりとして気持ちがよかった。
「……ずっと見守っていたんだ」
「ソルジャー」
「少し羨ましくもあった」
自分の父母をジョミーの両親に重ねて、自由で闊達なジョミーに憧れた。長く忘れていた温和な生活。
「逢えて嬉しい、ジョミー。ありがとう」
そう言って、間近にあった唇にブルーはキスをした。
落ち着いていたジョミーの顔が再び真赤に染まる。今度はブルーが得意満面になる番だ。
「寝る!おやすみ!」
「ああ。おやすみ、ジョミー」
身を深く沈めシーツの上部からのぞくジョミーの髪をブルーは笑いながら撫でる。するとジョミーの爪先がブルーの爪先を蹴った。