あーあ。
ジョミーは足元の小石を蹴った。爪先から微かに転がり、路上掃除ロボットの脚に絡めとられてしまう。
なんだよ、もう。
増大した憂鬱な気分を振り払うように、路肩の柵へ背を預けてジョミーは上空を仰いだ。千切れ雲が僅かに漂う快晴の深い青空だった。眩しさに目を細め、手をかざす。輝く大空を快適とばかりに鳥たちが悠々と飛んでいく。
ぼんやりと今日のこれまでをふりかえる。思念コントロールの訓練を飛び出して、ジョミーはそのまま自室に篭った。ペットとなったナキネズミがジョミーを出迎えてはくれたが、それによって全部聞こえてしまった。長老たちの小言はもちろん、ミュウたち全体からのジョミーへの不満、罵詈、嘲笑まで。懐いてくれているナキネズミはジョミーにとっても癒しではあった。だがあの思念を中継するという特性だけはやっかいだ。
そして、そのままジョミーは不貞寝をするようにベッドへ身体を残し、思念体でここにいる。不貞腐れることすら、あそこじゃできない。
「小言は、当然だろうけどさ」
だが数時間に及ぶ座学での詰め込み教育の上に、訓練ではああしろこうしろと言われても無理なものは無理だ。頭の中にはもう入るかってくらい詰め込まれて、咀嚼して飲み込むこともできない。
鬱憤ばかりが溜まっていては思念だって乱れるだろう。これは正当なエスケープだ。
そう自分を納得させて、ジョミーは後ろめたさを振り払いながら少し歩こうと身体を起こした。その背に声がかかる。
「ぼくも、一緒にいいかな」
普通の人間に自分は見えないはず。ジョミーは驚いて声の主を振り返った。
「……なんだ」
「なんだ、とは失礼だね」
そこに居たのは頭上に広がる大空の色と同じ名の人だった。非難めいた言葉とは裏腹に穏やかに微笑んでいる。
しかし、なんだか様子がおかしい。その原因を探るようにジョミーがブルーを見ていると、彼のほうから声がかかる。
「返答をもらえるかい、ジョミー」
先程の「一緒にいいかな」の返事のことらしい。せっかく一人になってたのに、と思ったが追い返すのもいろいろと面倒だ。
ジョミーは息を吐き出して、ブルーに背を向けた。
「勝手にすればいいだろ」
ブルーへの返答と共に、違和感の原因を探すことすら面倒になって止めてしまった。
ジョミーは幹線道路脇の歩道をゆっくりと歩き出す。後ろをブルーがついてくる気配がした。
関係ない、ブルーなんか。もう一度息を吐き出して、前方を見る。
穏やかな日だった。丘陵に伸びる道路の両側には整えられた平坦な草原が広がり、草を揺らし流れてくる風は生暖かい感触を残してジョミーをすり抜けていく。日差しは強く、少し暑い。
確か、今日のアタラクシアは休日のはずだ。そう思って見れば脇を通過する車は少なく、目前の草原にはところどころにビニルシートを広げた家族連れの姿が目に入った。
暑い、とジョミーはシャツの胸元を持ってはためかせた。目覚めの日の前夜にママからもらった服はもう季節はずれのようだ。
……ママ、どうしているだろう。新しい子どもの親となって、この草原のどこかでピクニックを楽しんでいるかもしれない。
「ジョミー」
言葉と共にだらりと垂らしていた手をとられる。
「なんだよ、ソルジャー」
思考の邪魔をされたイラつきのあまりその手を振り払う。手が離れた瞬間、ブルーが、あ、と小さく声を漏らした。
やってしまった。咄嗟にブルーの顔を見ると、困ったような笑顔で返された。
これでは子どもの八つ当たりだ。あまりのばつの悪さにジョミーはブルーに背を向け、先程と同じように歩きだした。自然と少し早足になる。
しばらく無言のままに歩き続ける。もうジョミーの瞳に穏やかな景色はなにも入っては来なくなっていた。
ジョミーの頭の中からママのことが消え、いつのまにかブルーのことで占められる。
先ほどはきっとジョミーの思念の変化を感じとって声をかけてきたのだろう。
ソルジャーが急に手なんか取るから、と責任転嫁をしてみても仕様がない。悪いことをしたのは自分だ。
でもさすがに帰ったかな、そう思って少し振り返る。
だが予想に反して、ブルーは相変わらずジョミーの少し後ろを歩いていた。周囲に興味がないのか、ずっとジョミーを見ている。ジョミーが見ているのに気づくと嬉しそうに笑い、許されたのと思ったのか小走りでジョミーへと近づいてきた。あ、と思ったジョミーが顔を正面に戻したが、ブルーは至極嬉しそうにその脇に並んでしまう。
「ジョミー」
「……なんだよ」
どうしても不機嫌な声がでてしまう。謝んないと、でもやり辛いなぁ。ジョミーは自分の不器用さに心中で溜め息をつく。
だがそんなジョミーに臆することもなくブルーは笑顔で口を開く。
「来てはいけなかったかな」
「別に。ソルジャーこそ、来ても……」
「大丈夫だろう、きっと」
ジョミーが言葉を言い終える前にはっきりと言ってブルーは笑った。案外にしてこの人もいい加減なんだと最近はわかってきたので、あえてそこへはつっこまない。
でも、こんなのがミュウの長で大丈夫なんだろうかと少々気にはかかる。だが主に被害を受けるのはジョミーへの小言役であるハーレイなので、ざまあみろというのが素直な感想だ。
「で、なんで来たんだよ。ソルジャー」
「ぼくも散歩がしたかった、というのじゃダメかな」
ブルーはいい加減だ。だがバカじゃない。辛いはずの身体を圧して、ただ行楽に来るはずがない。
ぼくの為、か。
「そうだよ」
考えていたことに答えられてジョミーはブルーを睨みつけた。ブルーはそれに気づかないように言葉を続ける。
「ジョミーはまだガードが下手だね。でも今のはミュウでなくても顔を見ればわかる」
言い切ったブルーがジョミーを見て笑った。なんだか今日はブルーがよく笑っている気がした。
改めてブルーを見れば、実際は300歳以上のクセに容貌は自分と同じか少し上くらいで、背はジョミーが不利でも体格なら勝てる。もし今の自分たちが他人に見えたなら、学校の友達とでも思っただろう。
学校の友達、そこで最初に感じた違和感の原因を見つける。服だ。
ジョミーは思念体であるのをいいことに、ミュウ特有の服から目覚めの日と同じ服へと変えていた。正直、あの服は堅苦しい上にアタラクシアには不似合いなのだ。他人に見えないとはいえ、そこは気分の問題だ。
そしてブルーもまたジョミーが見たこともない服を着て、しかもいつも常に身に付けている補聴器をしていない。違和感を感じるはずだ。
気付いた途端、唐突に笑いが込み上げてくる。ジョミーはうつむいて笑いを堪えるが、どうしても止まらない。服が似合っていないわけではないが、とにかくブルーらしくない。
「……いきなりなんだい、ジョミー」
「ソルジャー。その服、どうしたのさ」
気付かれたなら堪える必要もないと、ジョミーは笑ったまま単刀直入にブルーを指摘する。
そのジョミーに怒るより先にブルーは笑った。「そんなことか」
「いつもの服でここに居たいほど、あの服が好きではないよ」
ああ、ブルーもそうなのか。わかったらまた笑いが頬を緩ませた。そのジョミーの頭をブルーが撫でる。
「やっと笑ったね」
そういって髪をかき混ぜられる。なんだか凄く気持ちがよかった。だがサムにするように、「なんだよ」と笑い混じりにそれを払いのけようとすると、ぐっと二の腕が引かれてブルーの胸に抱きこまれた。
「今度からはちゃんとぼくのところに来てくれないとダメだよ、ジョミー」
こめかみにブルーの額が触れ、耳の端を唇で摘まれる。ブルーの口を開く音が間近で聞こえて、一気に身体の熱が上がる。
初めてのことじゃない。でもなぜか妙に感覚が鋭敏で、ジョミーを熱が押し上げる。耳元から首筋にキスを流したブルーはその温度を確かめるようにジョミーの頬を両手で包み込んだ。否応なく触れる寸前のブルーの顔を見せられる。
「ジョミー、すべて話して。あそこがいやならこうして出てきたっていい」
泣きそうな顔に口付けられる。押し付けられたような形のまま、不意をついてブルーの舌が潜り込んでくる。いつもより乱暴な気がするのはジョミー自身の感覚が鋭いからだろうか。そんな疑問を保つ余裕もないほど、ブルーはジョミーを追い立てる。
「っ……!」
上あごを撫でられて身体が跳ねた。いつのまにか掴んでいたブルーの服の胸元を強く引くと、あっさりと唇が離れていった。
強く閉じていた瞳を開けるとブルーが真赤な顔をジョミーから背け、キスする前と同じ泣きそうな顔をしていた。
「ソルジャー……?」
ブルーは答えない。あんなに笑っていた顔を歪めて、それでもジョミーの身体を離す様子はなかった。
「ソルジャー」
もう一度名を呼ぶとゆっくりと肩口にブルーの額が押し付けられた。
(不安で、来たんだ)
肌から直接思念が流れ込んでくる。
(全てを押し付けて、すまない)
(好きだよ、ジョミー。もっと別の形で出会いたかった。今日のような、友達として)
ジョミーが口を挟む隙もなく流れ込んでくる思念に、ジョミーはブルーの身体を抱くことで答えた。
ブルーはジョミーがアタラクシアを懐かしんで飛び出したのだと思ったのかもしれない。そして急いで追ってきたのかもしれない。
よく笑っていたのも夢が叶った喜びからだったのだろう。
そう思うとジョミーの中にもブルーへの気持ちが湧き上がってくる。
「今日は楽しかった。だから、帰ろう。ソルジャー」
(帰って、さっきの続きをしよう)
下手な思念で語りかけると、ブルーはそうしようとばかりにジョミーの耳にキスをした。
そして全てが終わってからジョミーは思う。
あれ以来なにかと「また、デートに行こう」なんて気軽に言うソルジャー・ブルーはいい加減な上にバカなんじゃないかと。