camarada

「まだ勉強かい?」

 資料室の机で頬杖をつくジョミーの前に、ブルーは思念体でふつりと現れた。手元で遊ばせていたペンを握りなおして、ジョミーはブルーを振り返らず熱心にレポートへ向かっているフリをする。こんなことをしたところであの人にはばれているのだろうけど、形ってものは大事だ。
 なによりジョミー自身が勉強を邪魔されることを望んではいない。サボりたいとは思っているけれど、それはシャングリラに居る限り到底無理な話だ。長老たちに限らずカリナたち子どもにだって、やろうとすれば簡単にジョミーの居場所は知れてしまう。正直、なんてプライベートの欠片もない場所だろうと思う。

「ハーレイに怒られるよ、ソルジャー」

「文句なんて言わせないよ」

 そう言ってブルーはジョミーの向かう机の端に音もなく腰掛けた。
 「ちまちま言われるのはぼくなんだけど」という言葉をジョミーは飲み込んで、意味も無く手元に広げた電子資料のページをめくった。

「ジョミー、いつ終わる?」

 体調が良いのだろうか、いつもより陽気なブルーはうきうきとした表情でジョミーの顔を覗き込んでくる。

「とうぶん無理。ソルジャーがいたらもっと無理だね」

 そうは言うものの、ブルーがいてもいなくてもペンの進度は変わらない。
 そもそも思念波を利用すれば知識などすぐ伝わるというのに、毎日何時間もの講義の上レポートが課せられるなんて無駄もいいところだ。しかも、そのレポートが手書きというのがなんとも原始的。機械以上の能力を持ちながら、ミュウという人たちは妙なところで原始主義なのだ。
 その疑問をそのままヒルマンにぶつけたら、「だからこそだよ」と返された。そして、まだ理解が足りない、若い証拠だと笑われた。

「やる気もないのに?」

 ブルーは言いながらトントンと指先で真白なレポート用紙際の机を叩いた。痛いところを指摘され、ジョミーはブルーを睨みつける。だがブルーはジョミーに睨まれたって怖くないとばかりに、にこりと笑ってジョミーの手にあった電子資料を取り上げた。

「あ。返せよ、ソルジャー」

「やる気がないならやったところで無駄だよ。それにレポートを書くより、ぼくの講義のほうがよっぽど価値がある」

 そう言いながらブルーは資料室の壁をぎっしりと埋めた棚際を歩き、もとあった場所へ電子資料を戻してしまう。
 確かにそうだ。ジョミーは資料を取り返そうと軽く浮かせた腰を椅子に戻す。ブルーの跡を継いでソルジャーとなるなら、ブルーの講義が一番だろう。そしてレポートが無駄だと言っているのは、そのソルジャー・ブルーなのだ。

「そう思うだろう?」

 戻した資料を隠すように棚に背を預け、ブルーは勝ち誇った笑顔をジョミーに向ける。
 まずい負けた。ジョミーがそう諦めかけたところに怒気を含んだ低音の声が響く。

「それではいけません、ソルジャー」

 ヒルマンがハーレイを伴って資料室へと入ってきた。鼻の下に髭を蓄えいかにも長老という形のヒルマンはブルーにも怯まず言葉を続ける。

「安易な方法で得た知識は知恵にはなりえません。ジョミー、レポートを続けなさい」

 それは助けなのか妨害なのか、ジョミーは判断できずに向かい合ったブルーとヒルマンを見比べる。ジョミーの座る机を挟んで相対したブルーとヒルマンはお互いに視線を外さない。ブルーは苦い笑みを湛え、ヒルマンは無表情にブルーを見つめる。
 ヒルマンと共に入ってきたハーレイはその脇から離れ、ブルーのもとへ近づいた。

「ソルジャー、ジョミーの資料を返してください」

「嫌だと言ったら?」

 ブルーは挑戦的な笑みをハーレイへ向けた。ハーレイは簡単にそれに怯み、資料を受け取ろうと差し出した腕をあっさりと下げてしまった。

「ソルジャー……」

 眉を八の字にしてハーレイは困りきってブルーへ呼びかける。だがそれはブルーの笑みを増やすことしかできない。

「ソルジャー」

 今度は黙ったままだったヒルマンが強い声でブルーの名を呼ぶ。全員の視線がヒルマンへ移る。ヒルマンは無表情のままだ。だがそれがまるで睨んでいるようにジョミーには見えた。
 そのヒルマンをブルーはしばし睨みつけ、諦めとともに大きく息を吐き出した。降参と両手を挙げる。

「……わかった。しばらく待つことにする」

 手も触れずにジョミーの元へ電子資料が飛んでくる。それをなんとかキャッチする。
 その間にブルーはジョミーの背後に立っていた。

「なるべく早く頼むよ、ジョミー」

 椅子へ押し付けるようにジョミーの肩に手を置き、さり気なく首筋をブルーの細い指が撫でて離れていった。こめかみにブルーの唇が軽く触れる。

「部屋で待っている」

 ジョミーにだけ聞こえるような小さな声で囁き、ブルーは現れたときと同じくふつりと消えた。

「ちゃんと休んでください、ソルジャー」

 ハーレイが戒めの言葉をかけるが、もうすでにブルーはそこにはいなかった。
 部屋中に溜め息が満ちる。

「……ソルジャーは若くなられた気がするよ」

 唐突にハーレイは言い出し、同意を得るようにヒルマンを見た。ジョミーもそれに倣うと、ヒルマンはそれに応えるように目を閉じた。

「確かにな」

 短い言葉とともにもう一つ溜め息。ヒルマンはゆっくりとジョミーへ近づき、レポートをやりなさいというように用紙脇の机を指先で叩いた。その行動がブルーと同じなのに気付き、ジョミーは笑いを堪える。

「ソルジャーは変わられた」

 ジョミーがゆっくりではあるがペンを走らせ始めると、今度はヒルマンが語りだした。ハーレイは用事があったのか、資料の収まる棚に向かっている。だが、きっと彼も聞いているのだろう。

「ジョミー、君の影響かもしれん」

「ぼくが悪いって?」

 言葉に反応して顔を上げると、ヒルマンが戒めるようにジョミーを見た。慌てて、レポートへ向かいなおす。
 だがヒルマンが気になってペンは進まない。ジョミーは上目遣いにこっそりと視線を上げた。

「悪い意味ではない。我々には、特にソルジャーにははしゃいだ青春などなかった」

 生きることに必死で何かを楽しむ暇などなかったと、ヒルマンは溜め息と共に目を閉じた。昔を思い出しているのだろう。確かにブルーから伝えられた彼の記憶には楽しい過去など欠片もない。

「それにしても横暴が過ぎる」

 いくつかの電子資料を手にハーレイがヒルマンの脇に立つ。先程の様子から見ても、ハーレイはブルーに勝てないのだろう。ジョミーが知らないうちにもいろいろ苦労させられているのかもしれない。
 そのハーレイに比べ、ブルーはヒルマンの言葉には従っていた。もちろん素直に、というわけではなかったが。

「ハーレイ、我々はソルジャーの……ブルーの友人にはなれなかった」

 ミュウには力による序列があり、そのトップはブルーでしかありえなかった。今でも若いミュウはブルーを神聖視し、古いミュウたちも長として敬っている。
 憧れや敬意は距離を生む。ミュウの長ソルジャー・ブルーと同志たちはその距離に阻まれ、想いを交わすことができなかったのかもしれない。

「ジョミー」

 急に名を呼ばれ、ジョミーはペンを取り落とす。
 机を転がったそれを手に取り、ヒルマンはおどおどとするしかないジョミーをじっと見た。長い年月を重ねた者だけが持つ強い瞳だ。ジョミーはその瞳に正面から相対することもできず、かといって逃げることも許されずに視線を泳がせた。
 ヒルマンが視線をそのままに、ジョミーの掌へ蓋のされたペンを握らせる。皺が寄り乾いた手がジョミーに触れた。

「今日はもうよい」

 言葉と共に目元の皺が濃くなりヒルマンの顔が緩い笑みに変わった。
 ほっとジョミーの口から息が漏れ、それに気付いたヒルマンはさらに笑った。

「いろいろなことをソルジャーから学んできなさい、ジョミー」

 そう言ったヒルマンはハーレイが戸惑いながら止めるのも聞かず、ジョミーへ背を向けて資料室の出入り口へ向かう。

「教授……」

 本当にいいのかとジョミーがヒルマンを呼ぶと、扉の直前で彼は足を止めた。

「ジョミー、君もソルジャーへいろいろ教えてあげなさい。それが今日の課題だよ」

 背後のジョミーへ、じゃあ、と軽く手を上げてヒルマンは挙動不審のハーレイを伴って資料室を出て行った。
 静かになった資料室でジョミーは立ち尽くす。さて、どうしよう。
 手に握ったペンを見つめると、ヒルマンの言葉が蘇ってきた。『友人にはなれなかった』
 ……ブルーが待っている。
 ジョミーは立ち上がった。レポートはちゃんと後で書こう。意志を込めてペンをポケットにしまう。
 そしてブルーの眠る部屋へとジョミーは資料室を飛び出した。

written by ヤマヤコウコ