ジョミーは部屋の入り口を前にして息を吐いた。
ここまでは半分走るようにやってきた。さもすれば否応なく聞こえてくる未だ馴染めないミュウたちの声すら頭には届かないほど、ジョミーは夢中でシャングリラの廊下を資料室からこのブルーの私室まで通り抜けてきた。
だが扉を前にして今から自分が何をすべきかを思い返す。
なにを、すればいいんだろう。
額に皺を寄せるとこめかみを汗が伝った。それを手の甲で拭う。
そして急ぎすぎてまとわりついていた紅いマントを後ろへ流した。ふと自分と色違いのマントを着けた人物を思い出す。
そうだ、待っていると言っていたじゃないか。だから来たんだ。
無理に自分を納得させ、ぐっと両の手を握り締める。そして一歩踏み出すと分厚いドアが微かな機械音と共に開かれた。
目前には仄かな間接照明に照らされた長い通路が延びていた。そこをジョミーはゆっくりと歩む。
固い床は足元から冷徹な音を響かせ、小さくなっていたジョミーの不安を膨張させた。周囲は闇、自身の足元以外からの音はない。
なんとはなしに足を止めてみる。唯一の音が消え、静かな闇がジョミーを包み込んだ。
道を示す柔らかな光はまるで真夏の夜のホタルのように見えた。だが同時に人魂のようにも見える。
静かな闇は安らかな眠りを約束してくれている。だが気を緩めれば引き込まれそうな恐怖をジョミーに抱かせた。
もう一度、ここへ来た理由を反復する。ブルーが待っていると言ったからだ。
「ブルー、……ソルジャー!」
こんなところに一人でいるなんて、どんな気持ちだろう。推し量る前にジョミーはブルーのベッドを目指して駆け出していた。
部屋の奥で唯一真白に輝くブルーの空間がどんどん近づく。その中心にあるベッドの上がにわかに動いた。ブルーがゆっくりとその身を起こし、駆けるジョミーを微笑みながら出迎えた。
「ジョミー、待っていたよ」
だがジョミーは言葉も聞かずにその身に飛び込んだ。ベッドが跳ね、ブルーが、うわっ、と声を漏らした。
「ソルジャー」
そのままキスを求めてソルジャーの唇の端に口付ける。するとソルジャーはしかたないなとばかり首をかしげて苦笑した。だがきっちりと唇と額にキスをくれた。
「どうしたんだい、そんな思念を撒き散らしていては誰かが心配してここに来てしまうよ」
うなじから滑り込んだブルーの指がジョミーのくせのある金髪を乱す。落ち着いて、大丈夫だ、とブルーの想いが熱い指先から伝わってくる。
思念を利用しているのか、していないのかはわからない。
けれどブルーの温かな想いに焦る心を解かされて、ジョミーはベッドの上にあった身体をずるずると床に落とした。その様子を、見ていたブルーが笑った。
「どうしたんだ。レポートがこんなに早く終わるとは思えないが」
「教授が今日は良いってさ」
そうか、と言いながらブルーの指先はベッドを背にしたジョミーの喉元へ伸びてきた。するりと喉頸をなで、顎の輪郭をなぞられるとジョミーの身体が震えた。
ブルーの熱い指先に触れられるといつもそうだ。
心臓の動きはそのままに、脳内の性感というには浅すぎるところをくすぐられている感覚。だがそれは至極気持ちが良かった。
心地よさ酔いながら、指の促すままにジョミーは顎をあげる。後頭部をベッドに押し付け、微か痛むまで首を反らせると、ブルーの赤い瞳がジョミーを覗き込んだ。量の多い銀の髪がサラリと揺れた。
ブルーの影で視界が陰る。
光の遮られたブルーの顔の中で赤い瞳は黒く見え、唯一唇が赤く染まっていた。それに気付くと、途端に欲しくなってジョミーは床に触れていた腕を引き上げた。
首筋に一房流れていた銀の髪を辿り、硬い補聴器に触れる。爪が外装に当たって小さく音を立てた。
「ジョミー」
上げていた手首をとられる。そのままベッドに押し付けられ、ぎゅっと瞳を閉じた。くる。そうわかっていたから瞳を閉じた。
予想通りにブルーは先程とは違う強引なキスをジョミーにくれた。反対側からの無理やりな形だったが、それがいつもは触れない場所に触れてくるので次第にもどかしくなる。
「も、っと」
もっと深くブルーの舌が欲しい。いつものように奥まで触れて欲しい。
じりじりと体勢を変え、なんとかブルーと向かい合うと唇の離れた一瞬の間に再びベッドの上へと引き上げられた。そしてまた口付けられる。
ブルーはジョミーの顎を軽く支え、舌を絡ませた。舌の根を探られ歯列の裏をなぞられると身体が総毛立つ。
そうして、いっぱいいっぱいになりながらも反撃だとジョミーが舌を吸うと、ブルーは微かに反応を示した。
だがジョミーの反撃が開始されて早々、ジョミーの咥内から舌が引き抜かれてしまった。
逃げるなよ、と名残惜しくぱっかりと開かれた口には顎を支えていた指が潜り込んでくる。ジョミーはそれをも愛しいものと一生懸命に舌を絡ませた。
潜り込んできた2本の指は咥内をバラバラに動きまわり、ジョミーはそれを追い掛ける。細く骨張った指を捕まえて、指先から元へ、元から先へと舌を絡ませた。そしてじっくりと爪の際をなぞった。びたびたと音を立てて咥内が唾液で溢れていく。
ジョミーから逃げたブルーの唇はといえば、ジョミーが始めにブルーにしたように唇の端へ触れてあっさりと放れていった。まるで、じゃあね、と挨拶でもしていったかのようだ。
そして自由を満喫するかのように、ゆっくりと舌を這わせながら首もとを愛撫していく。
その心地よさに喉元を仰け反らせると、軽い笑い声と熱い息が首の柔らかな肌を撫でた。
「ジョミー、さっきはどうしたんだい?」
楽しそうな声とともに、いつのまにかジョミーはベッドに押し倒されていた。
脚にブルーの脚が絡み、身体にブルーの体重がかかる。重いとは感じなかった。ただブルーを支えているという事実だけで、重さは誇らしさと心地良さ、高揚感に変わり羽根のように軽く感じられた。
「ジョミー、答えてくれないか」
そうは言われても口元がこれでは、と軽く指に歯を立てる。するとジョミーの舌をぐるりと撫でてから、指が引き抜かれた。
「いけない子だ」
ブルーは鼻で笑い、濡れた指を彼自身の口元で拭う。さあ言え、とばかりの視線がジョミーを射た。
「この部屋に、ひとりでいるのはどんな気持ちかと……思って」
思い返せば大したことではなかった。だが、ブルーはなにか楽しいものでも見つけたように、にやりと笑った。
嫌な予感がしてジョミーは自然と身体を離した。その顎を片手でブルーは引き止める。
「心配してくれたのかい?」
う、と言葉に詰まる。認めてしまうのは危ない。ジョミーは視線を必死に逸らして否定する。
「そんなことするわけないじゃないか」
「ジョミー」
「あ……、いや。うん」
ブルーの強い言葉と視線にジョミーは逆らえない。強張らせていた身体の全てをベッドに託して、ブルーを見上げる。ブルーの身体越しに、この空間を照らす広い光とその向こうの深闇が見えた。
「ここは寂しいかと、思ったんだ」
「寂しい?」
意外にもブルーは首を傾げた。どうやら彼はそんなことを感じたことはなかったらしい。心配損だ。
だが、ブルーは興味深げにジョミーへ話の続きを促してくる。
「ここは暗くて冷たいじゃないか」
言いながら気付く、自分は『この部屋』とどこを比較しているのか。それはアタラクシアの我が家だ。自室に篭っていてさえ、マムが食器を料理をする音、パパのつけているニュースの声が微かに聞こえてきた。人の存在を感じる場所。この部屋には人の存在が何も感じられないのだ。
ブルーにもらった記憶を辿る。だが彼の記憶にそんな空間は見つからない。ならば寂しさなど感じるわけがない。
「ジョミー、筒抜けだ」
「あ、ごめん」
小さく息を吐いて、笑うのを止めたブルーはジョミーの上で身体を起こし、背後に広がる部屋の闇を見つめた。
ジョミーもそれに倣う。ブルーの細く青白い姿が闇に浮かんでいるように見えた。
「ソルジャー」
「なんだい」
ブルーは視線を戻さなかった。その無造作に垂れたままのブルーの手をジョミーは握る。少し熱があるのだろうか、熱い指に自分の指を絡ませた。
「ソルジャーは、寂しい?」
いや、とブルーは首を振った。そして闇からジョミーへ視線を移す。
「寂しくはない。ジョミーがいるからね」
薄くブルーは笑った。絡んでいた指に力が込められる。
「でも気付いてしまったよ、ジョミー。責任はとってくれるね」
再び身をかがめたブルーの指が服の首元にかかる。その意味をもうジョミーは知っていた。
なんでもそっちに持っていくんだ、この人は。と呆れるが、それも悪くないと思い直す。
「いいよ。ソルジャーがここで寂しくないように楽しい記憶をあげようじゃないか」
「それは、いいね」
絡ませた指を解いて両腕をブルーの首に回す。深く口付けると周囲の光が消えた。
暗くても、寂しくはないもんなんだな。ジョミーは肌に熱い指を感じながら思った。