「う、ん……」
王座のように設えられた椅子。そこに腰掛けたブルーはうたた寝からふと目を覚ました。
眠るつもりではなかった。ただ微かな疲労感に肘をついていたら、いつのまにか眠りに引き込まれていた。
浅い眠りの中でみた夢を思い出す。
何も見えない暗い空間、そこに小さな光球、そして泣き声。小さな光は陽の出のように柔らかに眩く輝き、惹かれるようにブルーは手を伸ばした。
近づけるにつれて指先が温かく感じられ、その光球が熱を持つことを知らせた。だがどんなにそれが熱いと解っていても欲求は止まらない。そしてブルーはとうとうそれに触れた。
熱い、そう思った瞬間に光球はブルーの身の内へ潜り込み、通り抜けた。
あまりの熱さに脚を折り自分の身を抱きしめる。背後ではブルーの身体を通り抜けた光球が徐々に輝きを失っていた。
どうなったというのか。震える身体を無理に動かし、ブルーはその光球へ再び手を伸ばした。だが指先で光を失った球はゴトリと鉄球のような音を立てて地に落ちてしまった。
そしてまた聞こえてくる泣き声。幼い、いや赤ん坊の泣き声だ。
そこでブルーは目を覚ました。
あれは夢だったのか、それとも何かの予兆か。
フィシスに会わなければ。
ブルーはゆっくりと椅子から腰をあげた。
彼女は夢を見ていないと言った。ターフルにも未だ何の予兆もないと。だったらあれはなんだったのか。
ブルーはあの時と同様に椅子へと腰を下ろした。王座のような椅子、広い部屋の最奥一段高くなった床に一つだけ孤独に置かれている。ソルジャー・ブルーの椅子だ。
あれは誰かの思念波か。いや、ならばそうと感じられるはず。
思考を巡らせても答えは出ない。だが、そうやって考えるれば考えるほどあの夢の印象が濃くなっていく。
一度、行ってみようか。アタラクシアへ。
なにか変化が起こりつつあるのかもしれない。ブルーは身体を椅子に預け、思念体を空に跳ばした。
思念体での跳躍は久しい。空気を媒体にしたかのように流れる景色を一瞬で跳び越え、地に高くそびえ立つビルの上に身体を降ろす。
床に足をつける必要など決してないのに、こうして『立つ』ことを止められないのは人間として遺伝子に『重力』というものが埋め込まれてしまっている為なのだろうか。
強力な重力をもつ地球。
ふと想いを胸に空を見上げる。どことも知れない人間たちに、いやマザーという機械に支配された愛おしく懐かしき地球……。
この身で、その姿を見ることはできるのだろうか。
自分の胸へと視線を落とす。寿命が近づいていることには気付いていた。長寿であるはずのミュウの寿命を切り刻み削ってきた自らの人生はなんて過酷だったのだろう。
ぎゅっと手を握り締め再び空を見上げ、頬に空気の流れを感じる。この流れの中に思念波の残り香はないかと意識を集中させた。
微かな思念波が感じられる。だがそれは全て街へと潜り込んだ同胞の密偵だ。もっと、大きな思念は……。
「……っ!」
弾かれるように思念の探索を止める。聞こえた、赤ん坊の泣き声だ。なんと強大な思念!
ブルーは僅かに痛むこめかみに手を沿え、再び意識を集中させる。今度は弾かれないよう慎重にその思念を辿っていく。次第に弱まる声と思念、それを道標にブルーは思念体ごと移動を開始した。
そして行き着いたのは郊外の一軒家。同じような家の立ち並ぶ、その一軒からその思念は流れ出していた。
ここまで近づけば思念を辿る必要はない。ブルーは家の中へと足を踏み入れた。
真新しい家財、いくつかの暗い部屋、キッチンには母親役の保育士が鼻歌混じりに料理中。
成人検査を終え、普通に暮らしている彼女ではない。思念の発生元ではないことを確認して、ブルーは半分だけ開いたドアの奥、薄暗い部屋へと入った。先程の残痕だろうか、微かな思念を感じた。
部屋に満ちた温かく穏やかな空気、その中心に設えられた乳児用のベッド。ブルーはその中を覗きこんだ。
柔らかな金の産毛、白い肌、その中でも最も目を引く明るい緑の瞳がブルーを捉える。
ぼくが、見えている?
確かめる為に身体をずらしてみるが、その瞳はブルーを追ってくる。だが、感覚の鋭い幼子が「見えないものを見る」ということはままある話だ。それだけでミュウだと断定はできない。
立ち止まって、ブルーは意識を赤ん坊に集中させた。だが先程のような強力な思念は感じられない。
この子ではないのか?
ブルーは邪魔だとばかりにマントを払い、柵のついたベビーベッドの中へ手を伸ばした。大の字になった赤ん坊の目の前に手をかざす。
じっと緑の瞳がブルーの指先を見つめ、ゆっくりとその先端を柔らかな掌で包み込む。そして嬉しそうにその手を振る。
……この子だ。ブルーは流れ出した思念に心を奪われる。幸せな思念波だった。まだなにもない純白の思念からはどんな意志も感じられない。だがその幸せだけがブルーの心を揺さぶった。
小さな手に握られ、揺れる自身の指先をブルーは見つめた。小さな手首には病院で付けたまま帰ってきたのか名札代わりのブレスレットが揺れていた。
名前は、ジョミー・マーキス・シン。
同時に生年月日も確認する。まだ生まれて間もなかった。だが既に養父母へ宛がわれているということは、身体には大きな障害などもないのだろう。
五体満足なミュウは珍しい。だがこの強力な思念がマザーに見つからないわけがない。いずれ発見され、そして殺されてしまう。
ブルーはジョミーの顔を見た。嬉しそうな笑顔が返ってくる。
いずれ、この可愛いジョミーがマザーに殺されてしまう。そう思ったブルーの心はキリキリと痛んだ。
このまま連れ帰ってしまおうか。ふとそんな想いが過ぎる。だが、ミュウである確証はない。ただ今は思念が強いだけ。もしかしたら、本当に感覚の鋭い子で収まるかもしれない。
ふとブルーは夢を思い出す。触れた指先から入り込んだ熱い光、そしてゴトリと落ちた球。同じことをしてみようか。
ブルーは握り締められたままの指先から、ジョミーへ思念を流し込んだ。
瞬間、笑っていたジョミー顔が固まる。だが泣き出しはしなかった。
ブルーは思念の流れを止めずに、今度は意志を流し込む。
マザーに見つかるな、幸せに、元気に生きるんだ。
いろいろなことを想い、苦しみ、楽しんで生きるんだ。
もし君の大切なものが奪われそうになったら、守りに来るよ。
一種の洗脳なのだろうか。幸せを発していた思念がどんどんと薄まり、次第には消えた。
ジョミーはそのまま瞳を閉じ、同時にブルーの指先を握っていた手をぽとりとシーツの上に落としす。
このまま目覚めませんように。ブルーはジョミーの小さな額を撫でて、キスを落とした。
再び帰路を跳躍をして明るい部屋の奥で身体を起こす。そして椅子に身体を埋めながらブルーはジョミーを思い出す。
あの強い思念は同胞たちミュウにとっては強力な武器となるだろう。おそらく、自分の代わりとして。
だがミュウであったなら、ジョミーが不幸になるの間違いない。
ブルーは目の前に広がる空間に目をやる。ときに幾人ものミュウを呼び集め、ここで争いの談義をする。ミュウたち全ての運命を握らされて動く、その重責にブルーはずっと耐えてきた。
ジョミーはあの薄暗く優しい空間から、この明るく晒された苦しい重責の場所へと来ることになるのだ。
だからできるならば、このまま目覚めなければいい。
ずっと見守ろう。できるならば、その力が目覚めないように。
ブルーは胸に手をあて、先程流れ込んできた純白の思念を思い出す。
けれど、成長した君には逢ってみたいよ。ジョミー。
与えられた温かな光、それを胸にブルーはソルジャー・ブルーの椅子を立った。