nihtowl/2

 ふと頬に風を感じて目を覚ます。
 この前のようにブルーが勝手に侵入したのかと思ったが、部屋を見回してもそれらしい姿はない。
 部屋にはベッドに壁に埋め込まれたクロゼット、それ以外にたいした物はない。手荷物など何もなくこのミュウの母艦に来たのだから当たり前だ。その部屋に隠れる場所などどこにもない。
 なんだろう……。
 なにが原因で目覚めたのか理由が見当たらないままジョミーは身体を起こした。手をついたシーツの上でなにかが滑る。

「なんだ、やっぱり……」

 来てたんじゃないか。
 ジョミーの枕もとから手元へ滑ってきたそれを手にとる。
 勝手な侵入者の置き土産は大輪の黄色い薔薇だった。幾重にも厚みのある花びらが重なり、その根からするりと刺を落とされた蔓が伸びている。顔に近づければ甘い香りが嗅覚をくすぐった。

「でも、なんでこんなもの」

 ジョミーは首を傾げながらベッドから脚を降ろした。素足に冷たい床の感触が滲み、体温があっというまに奪われる。
 側に脱ぎ捨てたはずの靴はベッドサイドにきっちりと揃えて置いてあった。その上のテーブルにはやはりくしゃくしゃにしてあったはずのマントが畳んであった。
 ママみたいだと苦く唇を曲げて、ジョミーはその『ママ』に逢うために靴を履いた。
 ここを去ったのなら、彼は部屋に戻り、ベッドでつまらなそうにしているかもしれない。

 

 どうしよう。
 ベッドサイドでジョミーは悩んだ。今はブルーのベッドサイドだ。
 戻っているだろうと思い足を向けたというのに来てみればベッドはもぬけの殻。  居たのは、最近はよくどこかへ行ってしまうようになったナキネズミだけだった。ブルーの為にとミュウの全技術を結集させたであろう特製のベッドの中央を陣取って、自分の寝床だとばかりに身を丸めている。
 なんだよ、もう。
 ジョミーはベッドに腰をおろす。
 ここでしばらく待つか、それとも探しに行くか、もしくは今夜は諦めるか。
 悩みの重さに逆らわずぱたりとベッドに身体を沈める。手元にあったナキネズミの身体に手を伸ばして撫でてやると、ナキネズミは顔をあげて小さく鳴いた。そして元の形に戻る。
 貸してやるよっていいたいのかな。他人の寝床を奪ってるってのに。
 頬を緩ませて、柔らかな毛並みを撫で続ける。
 じんわりと伝わってくる温かな体温にジョミーは小さく息を吐き出した。

「ソルジャーがどこ行ったか知ってる?」

 ナキネズミから応えはない。
 どうしようとシーツに顔を埋める。呼吸の全てがブルーの匂いで満たされ、泣き出したいほどの「好き」が溢れ出した。
 どうして無茶するんだよ。一日でも一時間でも一分でも長く、共にいたいのに。ずっともっと永遠に一緒にいたいのに。
 ブルーの匂いに混ざる薬品の香りに涙が込み上げた。

「……ジョミー」

 声と共にふわりと温かな風がジョミーの頭のてっぺんをふわりと撫でた。ブルーの思念波だ。

「ジョミー、ぼくは園芸部の植物園に居る。P-10だ」

 植物園?、とジョミーは首を傾げる。そんなところには行ったこともない。だが、P-10と言われれば大体の場所はわかった。

「きて、くれるかい? 見せたいものがあるんだ」

 つぎ足すようにブルーは言葉を繋ぐ。
 だがその言葉の前にジョミーはベッドから立ち上がり、部屋のドアを目指して駆け出していた。

「行くよ。今すぐ」

 ふ、とブルーの微笑む声が聞こえた。

 

 艦内を探るようにゆっくりと歩く。途中までは走ってきたのだが、途中で場所を確認する為にスピードを落とした。通路の所々にとりつけられた案内板を頼りにP-10へと向かう。だが、今は通路も電灯が落とされ、案内板を探すのも辛い。

「あそこが、P-10」

 角を左に曲がった突き当たりにそこはあった。ドアの隙間から暗い通路へ煌々とした灯りが筋状に漏れている。あそこに誰かがいるのは間違いなかった。
 だが、それがブルーでないことなど微塵も考えずにジョミーはそのドアを目指して駆け出した。

「ソルジャー!……っんむ」

 名を呼んで開きかけのドアに突っ込んだ瞬間に抱きしめられる。そして先ほどまでかみ締めて、泣きたくなっていた匂いに包まれた。ブルーだ。

「待っていたよ、ジョミー」

 ぎゅっと抱きしめられ耳元で囁かれる。焦りに高鳴っていた心臓が落ち着きを取り戻すように、ブルーの鼓動にあわせてペースを落とした。そしてそれに反比例して怒りが地を這うように込み上げる。

「っ、どこをふらついてるんだよ!」

 逃がさないぞという意志を込めて今度はジョミーがブルーを抱きしめた。ぎゅう、とブルーの背中を抱いて自らにくっつける。

「うん。すまなかった、ジョミー」

 後頭部から頭を軽く撫でられる。先ほど感じたブルーの思念でも、ブルーはこうしていたのかもしれない。

「反省してないだろ」

 不貞腐れて声を濁らせる。誤魔化されるものか。
 するとブルーは困ったなと呟いて、ジョミーの耳元にキスをした。そしてやんわりとジョミーの腕を解く。
 言い訳はしない、と前置きをしてブルーは言葉を続けた。

「ジョミー、君が来てくれてよかった。見せたいものがあるんだ」

 手を取られ、促されるままに植物園の奥へと歩を進める。
 飛び込んだまま周囲を見渡しそびれていたが、そこは緑で覆われていた。温室のように僅かに暑く湿度の高い空気、通路の両脇に茂る緑とカラフルな花々。上を見上げればそこはドーム状に丸い。

「ここは公園とか観賞用の植物の管理をしているところなんだ」

 あれはどう、これはどう、と説明されるが正直ジョミーは花の名前や形はよくわからない。同じ色なら同じように見えてしまうのだ。

「……興味ないかい?」

「うん、全然。綺麗だとは思うけど」

 そうか、とブルーは苦笑する。だが、ぼくも昔はそうだったよ、とも付け加えた。
 どうやら、この知識はブルーが時折口にする「年の功」の一つのようだ。長く生きていれば知識は自然と身についてしまうよ、というブルーのいい加減さが窺える言葉だ。だがそれは同時に、日々長老たちに知識を叩き込まれているジョミーを安心させる言葉でもある。

「ここに座って」

 案内されたのは、部屋の中心に位置する石造りのスペースだった。屋根のついた円形の空間は公園の休憩所のようで、腰から上くらいの高さからは窓になっている外側の壁からは石がせり出し、ベンチとなっていた。
 そこへジョミーを座らせて、ブルーは足取り軽くその場を離れてしまう。
 あ、と思い手を伸ばすが、ブルーは捕まらない。声を出すタイミングも逃してしまった。
 つまらない。ジョミーは腰掛けたベンチから外を臨み、窓枠に肘をついた。

「ジョミー、見てくれ。綺麗だろう?」

 すぐに戻ってきたブルーの腕には黄と青の色をした薔薇の花束があった。そしてそれを休憩所の中心に据えられた石造りのテーブルの、揃いの石で作られた花鉢へと差し入れた。

「ちょうど見ごろだ」

 そしてまた、綺麗だろう?、とジョミーに問いかけながら微笑む。

「これ、ぼくの部屋に……」

「見せたくて置いてきた」

 得意げに笑ってブルーはジョミーの隣りに腰を下ろす。そしてジョミーの肩を抱いた。

「どうして、これ?」

 大人しく肩を抱かれながら問うと、ブルーは微かに悩んで唸った。言うのを躊躇うように口を何度が開閉し、そしてやっと言葉を紡ぐ。

「君のようだからだよ」

 どういう意味かと問う前にブルーは再び立ち上がり、黄と青一本ずつの薔薇を手にジョミーの隣りへ戻ってくる。

「ジョミー、品種改良を繰り返した薔薇は様ざまな色を得た。だがその代わりに失ったものがあるんだ」

 唐突に語りだし、ブルーは二本の薔薇をジョミーに握らせた。
 ジョミーは刺がついたままの薔薇を慎重に持ち、両方を見比べる。

「黄色の薔薇は初期に品種改良で生まれたんだ。だからそれがまだ残っている」

 ジョミーの手にある黄色の薔薇の花びらにブルーは唇を落とし、続けてジョミーの上頬にもキスをした。香りだよ、とブルーは静かに言った。
 言われて、くんと空気を吸い込むと薔薇の甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「だが青色の薔薇にはそれがない。生殖力も低い。意図的な交配のみならず遺伝子やバイオテクノロジーを使って、人間の欲望のままに作り出した青色の薔薇はあまりにも貧弱だ」

「……青色の薔薇はミュウだ、ブルー自身だ、と?」

 皮肉に眉を顰めてジョミーは青色の薔薇を嗅いだ。匂いはない。

「そこまで皮肉るつもりはない。けれど香り高く美しい混血の薔薇はジョミーのようだと思ってね」

 「ほら、こんなにいい匂いだ」とブルーは笑ってジョミーを抱きしめた。

「強靭な肉体、強い思念、君は理想的なミュウであり、人間だ。ぼくらが失ってしまったものを持っている」

 自分とブルーと間にある二本の薔薇を見比べる。どうもブルーの言うことはしっくりこない。香りがどうとか、初期だとかバイオだとか。

「……そんなことどうでもいい」

 そんな結論しか出ない。見たら綺麗なのは同じだ。
 香りがいいのだって、好きな者にとっては良いことかもしれない。でも、キライな人間だっているだろう。長所は短所、短所は長所だ。
 とりあえず、それよりも。

「綺麗ならいい。香りとか、バイオとかそんなことどうだって。そこにあればいいじゃないか。なんで無理するんだよ。ソルジャー」

 我ながら支離滅裂な言葉の運びだ。だが、ジョミーの中では繋がっていた。
 薬漬けでも、なんでも。とにかくブルーが生きていてくれればいい。綺麗な薔薇を楽しむときを長く続けられればいい。
 薔薇を足元にほおり出してブルーの身体を抱くと、優しく髪を撫でられる。子ども扱いだと認識はしているがそれが幸せでしかたがない。だからこそ、また涙が滲む。
  すまない、とブルーはまた言った。だが何度も謝られてたところで、ブルーが無茶をやめなきゃ同じだ。

「青色の薔薇は望まれて望まれてここにある。同じように、ソルジャーもここにいてよ。ぼくがいっぱい望むから」

 頭を撫でる手が止まって、ブルーの瞳がジョミーを見た。呆けた顔だ。それが苦笑に変わる。

「可愛いことを言ってくれるね、ジョミー」

「無茶はやめる?」

「そこまで言われては聞かない訳にはいかないだろう」

 額にキスをしてブルーは身体を離して立ち上がった。手だけが繋がれて、引かれる。

「戻ろう。ちゃんと休むよ」

 足元にならんだ薔薇を踏まないように立ち上がる。すると、その足元の薔薇をブルーが拾い上げた。

「部屋に飾ろう」

 そう言って青色の薔薇を手渡される。
 ジョミーの手には青色の薔薇とブルーの手、ブルーの手には黄色の薔薇とジョミーの手。
 そして二人は植物園を出た。

written by ヤマヤコウコ