sucker

 一定の調子で通路を歩く。顔は表情をなくし、平静。ついでに心拍も平常。服は乱れもなく、清潔。手にはテキストを持ち、成績は優秀。
 誰が見ても優等生、だがこの教育ステーションE-1077のマザー・イライザはシロエを要注意人物とカテゴライズしている。
 その理由が自身の行動にあることぐらい知っている。全ての言動、生活の始終はマザー・イライザという機械に監視され知られているのだ。
 それを考えると激しい嫌悪感がシロエを襲う。逃げ出したくる。どこへでもいい、セキ・レイ・シロエという人間が自身のものである場所へ。
 ピピピと軽い電子音が手元から鳴り始める。コールだ。まるでシロエの思考が全て見えているかのような反応の良さ。
 くそ! 爪先で悪態をついて、身を翻す。こうなったら平静も何もない。イラつきを全身で表現して乱暴に通路を歩く。人々はシロエを避けるように通路の脇へ寄った。はん、歩きやすくていいね。まったくさ!
 途中、受けるはずだった講義へ向かう教授とすれ違い、声をかけられた。だがシロエが周囲を憚らず「コールです!」と怒りのままに伝えると、教授は苦笑してシロエを見逃した。
 なんだ、マザーならなんでもいいってのか。
 彼らにとってはそれが当たり前のことなのだろうが、その教授の態度にすら怒りが込み上げる。
 先程より大股に先を急ぐ。行きたくもないマザーのコールだが、全ての元凶はそのマザーにある。怒りをぶつける相手にはもってこいだ。
 そう思っていたところで、反対側からやってくる相手に目を留める。もっともってこいの鴨だ。鴨葱だ。シロエはゆっくりと足を止めて、顔を平静に作り直す。鴨葱の付け入る隙を作らない為だ。

「おや、キース・アニアン先輩」

 相手はじろりとシロエに目を留めて、小さく溜め息を一つ。その態度がシロエの闘志を掻き立てる。そうこないとね。

「お前、授業は?」

 いつものように、脇に居たサムがキースより先にシロエに話しかけてくる。変化がなくて困るね、この人も。
 とりあえず隠す必要はないと判断して、シロエは包み隠さず現状を話した。

「コールですよ。この通り健康なんですけどねぇ、僕は」

 ほら、と身体を広げてみせる。
 そんなシロエにキースは眉根を寄せ、サムは身体を強張らせた。すぐにサムの怒声が飛んでくる。

「シロエ、健康か不健康かのコールじゃないだろ。お前の場合は!」

 今度はシロエが眉根を寄せる。どうしてこのお人好しのお節介にいつも怒られなきゃいけないんだ。そもそも話しかけているのはこのサムではなくキースなのに。
 サムの言葉など一切聞かないままキースを見上げていると、呆れたように溜め息をついた彼がやっと動き出す。だが、動いた先はシロエではなくサムだった。

「サム、講義に遅れるぞ」

「キース! お前からも言ってやってくれよ」

 なんだよ、と抱いた不満はすぐさま怒りに変わる。いつだってキースはそうだ。シロエのことも他の大したことのない者と同様に扱う。彼の築きあげてきた成績のレコードを端から崩してやったというのに、褒めも皮肉もなにもない。鼻で笑いすらしない。まるで『シロエ』がそこに居ないもののように扱う。

「じゃあ、キース先輩。教えてくださいよ、マザーに気に入られる方法。」

 軽く腰を曲げて身を乗り出して言う。正直なところは気に入られるなんてまっぴら御免だ。
 だが案の定キースの眉間に寄った皺が深くなる。神経逆なで成功。
 しかし唐突に突き出したシロエの頭が押さえつけられた。勢いに頭から倒れそうになる身体をなんとか留める。またあのお人好しか!、と怒りを感じたところで頭上からは意外な声が聞こえた。

「なら、さっさとコールに応じることだ」

 ぐしゃりと頭をかき混ぜられ、そのまま捕まれた頭は投げ出すような形で強制的にマザーのカウンセリングルームへ向かされる。
 へ、今のキース先輩がやったの?
 シロエがあっけにとられながらも振り返ると、その通路一帯の学生が皆同様の顔をしていた。だが当の本人は平然と呆けたサムを講義へ誘っている。

「じゃあ」

 反応しきれないサムを引き摺ってキースは通路の端へ消えていく。
 手元で電子音が再び鳴った。そこでやっとシロエも周囲も動き始める。
 周囲の連中はあれはなんだったのかと隠れもせずに囁き始めた。シロエは疑問を語り合う相手もなく、呆然と手元を見つめた。コールは鳴り止まない。
 なんだなんだ、なんなんだ。バカにされたのか、ぼくは。
 抑し留められない怒りがシロエから噴出す。噴出した怒りは血液を通して身体中を充満した。いや、そもそも怒りなのか。それすらわからないイラつき。
 鴨葱にしてやられた! 地団太を踏むような激しさで、シロエは通路に向き直る。これはもう、マザー・イライザに当たるしかない。申し子への怒りはきっちりその『マザー』に受けてもらわねば。
 シロエは大股に一歩を踏み出した。

written by ヤマヤコウコ