Cherry Bob

「待てよ、おい」

 夕食後の緩やかな時間をジョミーは走って過ごしていた。食事をとったすぐ後なので片腹が僅かに痛む。
 だが追いかけている目標はそんなことはお構いなしだ。ジョミーは、ああもう、と半分自棄になって走るスピードを上げた。こうなったらとっとと捕まえるしかない。

「おい、待てったら」

 いやだよ、とばかりに青い尻尾が揺れる。
 うわ、なんかむかつく。
 そんなジョミーの気持ちを尻目に、ナキネズミは固い床に爪をひっかけて微かな音を立てながらミュウの母艦シャングリラの長い廊下を駆けて行く。その速さは結構なもので、スピードを上げたジョミーも安易には追いつけない。
 諦めようかな。ほおっておいたところで大した害はない。ただ、夕食のデザートに出たチェリーをナキネズミに横から盗られて、ちょっとムキになっているだけなのだ。
 うんうん、そうしよう。青い身体の脇で揺れている赤いチェリーなんてなかったことにすればいいんだ。
 だがジョミーが諦めようと脚を止めかけたところで、ナキネズミはキュッと足先のグリップを利かせて通路の途中を曲がった。曲がった先はいつもミュウの子どもたちが戯れている庭園だ。今は電気が落とされ薄暗い。
 あんなところに住処でもつくっているのかな。微かな興味がジョミーをそそる。
 思い直したジョミーはナキネズミに続いて庭園に駆け込んだ。

「…………」

 だが庭園でジョミーを迎えたのはちょっと不思議な光景だった。
 ところどころの青い非常灯だけが光る庭園の水辺に、彼が居た。
 姿勢のいい身体を折り曲げ、指先を水に遊ばせている。揺れる水面は微かな光を跳ね返し、それが彼の身体をも輝かせるのか、なぜか暗闇にそこだけぽっかりと浮かんで見えた。
 綺麗だとジョミーは思った。彼の指先から広がる波紋、非常灯の青白い明かり、水際に茂る木々、そして微かに揺れるマントを地面に広げてしゃがみこんだ彼。
 その彼の元へナキネズミは気兼ねもなくとっとっとと近づき、小さく鳴きながら地面に広がるマントを爪で引っ掻いた。

「なんだい?」

 好青年を模したような少し低いテノールの声が微かにジョミーの耳へと届く。
 声と同時に彼が指先をナキネズミへ向けて差し出すと、そこへ飛び乗ったナキネズミは腕を伝って、彼の肩の上に身を落ち着けた。
 そして彼は、よく来たね、とでもいうようにナキネズミの頭を慣れた手つきで撫でる。

「くれるのかい?」

 そう言って彼が頭を撫でていた手を口元へやると、ナキネズミは彼の掌へとあっさりとチェリーを転がした。
 あー……。
 ジョミーは気付く。ナキネズミは彼にあげようとジョミーの元からチェリーを盗り、ここまで走ってきたのだ。
 それがわかった途端、理由のつかないモヤモヤがジョミーの胸に浮かんだ。駆けて乱れた息を整えるのだと自分に言い訳をして、ジョミーは胸元で拳を握りしめる。

「……ソルジャー」

 小さく彼の名を呼ぶ。ぎゅっと胸が締め付けられる。
 だが彼はそんなことも知らず、ナキネズミをあやしていた顔をジョミーへと向けた。

「ジョミー」

 驚いたような顔がすぐに微笑みに変わる。肩にいるナキネズミがよろけるのも構わずに立ち上がり、彼ことソルジャー・ブルーはジョミーの元へ駆け寄ってきた。

「どうしたんだい、ジョミー。こんなところで」

 光のせいかいつもよりさらにブルーの顔は青白く見えた。そんな状態でここにいてもいいのか、なんて何度もした問答なので今更する気も起きない。

「そいつを追ってきたんだ」

 こいつを?、とブルーが人差し指を近づけるとナキネズミはそこへ頭を擦りつけ、極上の顔をしてみせた。まるで、ブルーが好き、を全身で表現するかのように見え、ジョミーは拳をぎゅっと握り締める。

「ぼくのチェリーを盗ったから……」

「ああ、これ。ジョミーのだったのか」

 いけないよ、ブルーは言葉ではそう言いつつ、ナキネズミを撫でた。
 いやだ。衝動的な思念が固まる。これでは伝わってしまうとわかってはいても、ジョミーに思念波のコントロールはまだできない。
 そして感じ取ったブルーが、ナキネズミが、ジョミーを見た。

「ジョミー……?」

 そう言って、ナキネズミからジョミーへと向き直ったブルーの懐にジョミーは飛び込んだ。
 ナキネズミとは反対側の肩口に顔を埋めて、ぎゅっとブルーを抱きしめる。

「ジョミー、これを盗られたのがそんなに……?」

 大人しく抱きしめられたブルーがくすくすと笑う。本気でそう言っているのだとしたら、こっちが笑いたい。
 ソルジャーは、ぼくのだ。ブルーの首筋に唇を押し付ける。
 すると悲鳴のような鳴き声とともにナキネズミが一跳びでブルーの肩から降り、どこかへ駆けて行った。
 うーん、伝わっちゃったか。顔を離して舌を見せると、ブルーが額に眉を寄せた。

「いけないよ」

 本気で言っているとわかったので素直にごめんなさいと謝る。

「ここまでするつもりはなかったんだ。ただ、ちょっとムカムカしただけで」

 言い訳がましいとは思ったが、ブルーは、そうだろうね、と笑って返すだけだった。
 そして二粒付いていたチェリーの片方を口に含む。丸く赤いチェリーの粒が薄い唇にするりと含まれていく。それをじっと見ていたジョミーにブルーはまたふと笑いかけた。一気にジョミーの顔が熱くなる。

「これ、ジョミーのだったんだろう? 返すよ」

 なにをされるのか咄嗟に予想がついて、ジョミーは後ずさりながらいらないと首を振る。だが、その後ろ首をとられ、無理やり口付けられた。後頭部の髪を掴み、僅かに上向かされて開いた唇の隙間から、甘酸っぱい欠片がブルーの舌に押し出されてジョミーの咥内へ転がりこむ。

「半分だけ、だけどね」

 先ほどジョミーがしたように、ブルーが舌を出して笑う。その舌はチェリーの果汁で紅く染まった薄い唇を舐めて、ブルーの咥内へと引っ込んだ。

「そ、ソルジャー……! なにするんだよ、いきなり」

 ぐいと唇を手の甲で拭うと、ブルーの唇についていたのと同じ赤い果汁の線がついた。

「……汚れてしまったね」

 果汁のついたジョミーの手をブルーがとる。やめろという間もなく、そこへ腰をかがめたブルーの舌が這った。

「そ、るジャー……!」

 ゾワリとしたものがジョミーの身体を通り抜ける。まるで、ブルーと身体を重ねているときのような快感だ。
 笑うソルジャーの吐息が手の甲を掠め、生温かい舌がじっとりと肌に絡みつく。恐るおそる自身の手元へと視線をやれば、ソルジャーの艶かしく光る瞳がジョミーを見上げていた。
 ま、ずい。

「……っ」

「あ」

 声が漏れる寸前で自身の手を取り返す。するとジョミーの代わりにブルーが小さく声をあげた。そして、なんだ、とつまらなそうな顔をして立ち上がる。

「ジョミー」

 いつもより低い声で名を呼ばれる。身体中がしびれるのがわかった。
 混乱して、どうしてこんな状況になったのかが理解できない。ああ、いや、自分はナキネズミを追ってきただけだ。
 そしてまた名を呼ばれる。

「ジョミー」

 咄嗟に身を引くがまたしても捕まってしまう。手首をとられ、ブルーに引き寄せられる。

「あ……いや、だっ」

「大丈夫だよ、ジョミー。もう……しない」

 ジョミーの微かな抵抗をも包み込むように、ゆったりと抱きしめられる。真横にあるブルーの顔が緩く幸せに歪んでいた。
 仕様がないな。溜め息混じりにジョミーもそろそろとブルーの背に腕を回す。

「ソルジャー……」

「あんまり君が可愛いから」

 言葉と共にぎゅっと腕に力が込められ、肩口に頬が擦り付けられる。ふ、とブルーが息を吸い込むのが肌でわかり、照れくさくてジョミーの顔が微かに熱くなった。

「あの子に嫉妬してただろう?」

「嫉妬?」

 ブルーを見ようと首を捻ると、顔がブルーの少し固い髪に埋もれた。うわ、と小さく声を漏らすと、くすぐったいよとブルーが幸せそうに笑う。

「そして君の独占欲で追い払った。かわいそうに……」

 ジョミーを連れてきてくれたぼくの恩人なのに。僅かに身体が離され、幸せに歪んだ唇がジョミーのそれに触れた。
 離れ際にちろりと唇を舐められると、微かにチェリーの甘い香りがした。
 そしてまた抱きしめられ、今度は耳の傍で囁かれる。

「ジョミー、あのナキネズミは君の思念に感応しているだけなんだ。……ぼくが好きだっていう、君の思念に」

「ぼ、ぼくの……なに?」

 ブルーの吐息が吸い込まれるようにジョミーの耳をくすぐって、言葉が頭に入ってこない。
 ナキネズミは感応? ぼくの、思念、に?

「そう、ナキネズミは思念を中継する為にその感受性が高い。だから、ジョミーのあまりに強い思念に同調してしまったんだよ」

 ああ、ソルジャーが嬉しそうだ。嬉しそうなことはわかる。
 そこまででジョミーの思考は停止した。理解はできた。できたからこそショートして、壊れた機械のようにしかジョミーの口が動かなくなる。

「そ、るじゃー……え。あ。えええ?」

 その壊れた口に赤いチェリーが押し付けられ、ジョミーは思わず口にそれを含んだ。先ほどと比べて倍あまりの大きさに言葉さえままならなくなる。

「ひょるひゃー!」

「半分くれるかい? ジョミー」

 そして半分開きっぱなしの唇にブルーのそれが重なる。

「ぅ、……んっ」

 齧られたチェリーから甘酸っぱい味と香りが広がる。
 赤い果汁がジョミーの唇の端から零れ、それをブルーの舌が追いかけた。
 その姿をジョミーも薄目で追うと、気付いたブルーが上目遣いにジョミーを見た。そしてくすりと笑う。
 う、わ。とっさに目は閉じたが、意に反してジョミーの顔の温度は急上昇する。

「ジョミー、顔がチェリーみたいだ」

「っ、ソルジャーもだよ!」

 ちゃん見もせずに悔し紛れに言うと、嬉しそうな笑い声と共にブルーの腕がジョミーを包み込む。
 そして果汁に塗れた赤い唇がまた重なった。

written by ヤマヤコウコ