掌に水を救いあげる。機械によって浄化され、濁ったことなど一度もないと言わんばかりの透明な水だ。きっとそのまま口へ含んでも害など一切ないだろう。
……そう、自分がそう作ったのだ。子どもたちが万が一にも危険な目に遭わぬようにと、特にこの庭園の衛生管理は徹底して作り上げた。
ブルーは掌を掲げ上げ、掌の水を池に戻す。水滴が跳ね、細かな砂によって透明だった水がざわりと濁った。その様子にズキリと心が痛む。
管理されすぎたSD体制、そこに生まれた僅かな濁り――ミュウ。閉じ込められ、害虫のように殺された。それはまさに浄化だった。
綺麗になど作らなければ良かった。
濡れた掌をグッと握りしめる。冷えた水温が微熱を持った身体に心地が良い。砂の沈殿しきらない澱んだ水に手を浸し、僅かに砂の付いた手を両頬に添えた。気持ちが良い。
そしてブルーは立ち上がり薄闇の天井を仰ぐ。頬についた砂を避けながら水滴が顎を伝い落ちていく。
どれだけの仲間が死んだだろう。自分の知っている者、知らぬ者、大勢の仲間たちはどのような想いで死んでいったのか。
ぼくは、ソルジャー・ブルーは正しかったのか……?
あの、ミュウの力が目覚めたときから繰り返してきた自問自答。
清らかなはずだった世界の濁りはぼくたちで、誤っているのはぼくたちではないのか。
ぐっと顎を引き、瞳を瞑ったままブルーは足を踏み出した。
爪先で水が跳ねる。それにも構わずブルーは足を進めた。靴の端から水が浸入し、次第に脚が重くなる。
背後を振り返ればブルーが辿った道だけに砂が舞い上がり、水が濁っていた。
……これでいい。世界の澱みはこのぼくだ。
水面を両手ですくい、自らに降りかかるよう水を舞い上げる。
アーチ状になった天井に星が煌めくように水滴が広がった。
「ソルジャー……!」
声のもとを振り返る。明かりの落とされた庭園の樹々の合間に太陽のように明るい金髪、幼い顔に強い瞳をもった少年が立っていた。ブルーは彼の名を呼ぶ。
「ジョミー」
「なにやってるんだよ!」
駆け出したジョミーはブルーから視線を外すことなく、一直線に駆けてきた。もうブルー自身にはできない脚での跳躍で、ジョミーはブルーの元へ駆けてくる。水の中だろうとも躊躇わなかった。
「なにやってるんだよ!」
同じ言葉をジョミーは怒鳴った。そして腕を引かれジョミーに抱き寄せられる。
「ジョミー……」
いつのまにジョミーの背は自分を追い越したのだろうか。もともと体格はジョミーのほうが良かったが、今ではブルーが抱きしめられてしまうほど、ジョミーは成長をしていた。
ジョミーは成長を怖がらず、躊躇わない。なんと強い生命力なのだろうか。
「ソルジャーのばか! どうして、こんなこと……!」
声を震わせて、ジョミーはブルーの肩に顔を埋めた。
ぎゅっと身体がジョミーに包まれる。その体温に心までもが温まるのがブルーにはわかった。
「冷え切ってるじゃないか、ソルジャー」
「……ジョミー」
温かな涙が服から肉体へ滲み伝う。代わりにブルーの身体はジョミーの強い思念波で包まれ、腰まで浸かっていた水はブルーの身体から引いていった。
「ジョミー……悪かった」
「ぼくに謝ることじゃない。そんなのソルジャーならわかってるだろ」
ああ、そうだね。そう言いながら、顔を上げてもなお涙を止まらせないジョミーの頭をなでてやる。ジョミーはまるで子犬のように瞳を閉じて顔を緩ませた。
「指まで、冷えてるよ。ソルジャー」
心地よさそうに頬を綻ばせてジョミーは言い、ブルーの手にジョミーの手が重ねられる。
「なんで、こんなこと……?」
「気持ちが良かったんだ、冷たくて」
瞳を閉じたままのジョミーはこのミュウの母艦シャングリラに来たときと同じ、ママが大好きなジョミーだった。
幼さも、力強さも、そして溢れんばかりの生命力をも持ったジョミーならばきっと自分のようには間違うまい。澱みは全てぼくが背負って逝こう。
ブルーは愛しさにその唇へ軽く自らのそれを触れさせた。
ジョミー。ぼくの、ジョミー……。
ジョミーによって重ねられた手をブルーは手元へ引き寄せ、その指にも唇を落とす。
「ソルジャー」
「ジョミー、ぼくは君のために。ぼくの残りは全て君にあげよう」
ジョミーの瞳からまた涙が零れる。予想はしていたが、泣かれるのはやはり辛い。
だが言っておかなければならない。今度はいつ言えるのか、またもう一度言うことができるのか、ブルー自身にもわからないのだ。
「ブルー……」
俯いて涙をぽろぽろと流しながら、今度はジョミーがブルーの手を両手で包み、額に押し当てた。
ブルーの指先を舐めるように伝い、ジョミーの温かな涙が水面に幾重もの波紋を作る。
「ジョミー、ソルジャー・シン」
「嫌だ、ソルジャーはブルーだけだ! ブルーだけなんだ!」
冷えた指先に温かな涙の伝い落ちる感触が生々しい。
「ジョミー、愛しているよ。ずっと、見守っている」
「そ、るじゃー!」
胸にしがみつくジョミーの身体をブルーは力の限りに抱きしめた。