脚が重く、進まない。やっぱり嫌だ。そんな気持ちばかりが頭に浮かぶ。
せっかく思念を肉体から切り離しミュウの母艦シャングリラを出てきたというのに、視界には青々とした芝生と自分の爪先しか見えない。心地よくそよいでいる風も頬ではなく髪を撫でるばかりだ。
「……ソルジャー」
前を歩いていたブルーが立ち止まり、振り返る。わかっている、という苦笑いをして軽く首を傾げた。
すべて知れているのなら、どうにかしてくれてもいいのに。わずかに湧きでた不満が手に集約され、ジョミーはぐっと手を握り締めた。
「痛いよ、ジョミー」
「あ! わっ、ごめん」
慌てて手を離そうとするが、今度は逆にブルーが痛みのないよう柔らかくジョミーの手を握り締めた。
離さない。
ブルーの瞳を見ると、思念波なのか、それともその赤い瞳が語ったのかわからない意思が伝わってくる。
ジョミーは自身の顔が熱くなるのを感じ、それを隠すようにまた俯いた。
そうだ、忘れていた。手を繋いでいたのだった。いや、目下の問題が『それ』なのだから忘れていたわけではない。
混乱した頭と顔を冷やすために、頭をブンブンと振る。
いや、だから、何が悪いって慣れないことをしているのが悪いのだ。そう、この手が……。
「ジョミー、そんなに振っては首が痛くなってしまうよ」
首筋から細い指が諭すように這い上がりそれと共に無茶苦茶に振っていた首が止まっていく。わずかに冷たい手が頬に添えられる。
「そんなに嫌かな?」
これが、と繋いだ二つの手が微かに持ち上げられる。他の部分よりわずかに赤く湿っぽい二つの手は全ての指が絡み合い、どこか貝のようにも見えた。
「いや、だ!」
咄嗟にでた言葉にジョミー自身が驚いた。こんな伝え方をしたかったわけではない。違う、違うんだ。
慌ててブルーの顔を見ると、先ほどと同じように苦く笑って首を傾げた。そして小さく息を吐き出す。
「ジョミー……」
名を呼ぶ声と共に、手を繋いだまま反対の腕で抱き寄せられた。
ソルジャーは、いつもこうだ。ぼくの気持ちをすべて知っていて、なのに自分の気持ちも押し通す。それがぼくとの共通の望みだと信じて疑っていない。確かにそれは真実なのだけれど……。
ジョミーは瞳を閉じてグッと顎を引いた。顎の先がブルーの肩に埋まる。
……だけど、いやだ!
ジョミーはブルーの肩を押し、身体を離す。ブルーが微かによろけ、ジョミーを見た。
そして沈黙のなかで、二人の身体に挟まれていたブルーとジョミーの二つの手を温い汗が伝わった。
「ジョミー?」
ブルーは薄く笑う。幸せだよ、そんなブルーの気持ちがその顔からジョミーに痛いほど伝わってきた。
しかし、それがジョミーの身体を動かした。
強引にブルーの手を振り払い、あまりに急なジョミーの行動にバランスを崩したブルーの身体を腕ごと抱きしめる。
「わかった顔して、笑うなよっ!」
嗚咽と共に頬へ涙が伝う。
不満はすべて悔しさに変わった。ブルーの気持ちは表面的にしかジョミーには理解できない。
「ぼくはっ、ブルーの……!」
その差が彼の苦笑となり、今のジョミーはブルーにとって対等ではないのだと知らしめてくる。
悔しい、悔しい、くやしい!
「ブルー……」
今のままではブルーにとってのジョミーは一人ではない。半分だ。
二人でいても、一人と半分。
手を繋いで歩く姿はまるで大人と子ども。バスの乗車券が半額なように、ブルーはジョミーに半分しか求めてくれてはいない。
「ちゃんと、二人になりたいんだ」
ぎゅうと服の背中を握り締め、しがみ付くように肩口へ顔面を埋める。微かに背伸びをしたつま先が痺れた。
「…………」
無言のまま、ブルーの腕がジョミーのつま先を助けるように腰へと回される。
だが、やはりすべてを理解されてのその行動はブルーの優しさと自分への悔しさをジョミーに二割増で抱かせた。
わかってるくせに!
「じょーみぃっ、と」
ブルーが鼻で笑った。それに驚いている間に、ジョミーの視線がぐるりと動いた。そして、平らなものしか見えなくなる。
すぐに担ぎ上げられたのだと気付いた。腰に回された腕をそのままに、ブルーはジョミーを肩に担ぎ上げたのだ。
「重い、ね」
「あたりまえだろ!」
ソルジャーのばか!
言葉より想いより先に思念体から重さを消す。温もりや感触、肉体を模したなにもかもが消えてしまうけれど、ブルーに負担を掛けるよりはましだ。
「ジョミーが風船みたいだ。ちょっとそのままで……。飛んでいってはいけないよ」
面白がるようにブルーは笑い、地を蹴った。ブルーの背中から顔をあげると、芝生の広がりと青い空がゆっくりと上下する。まるで蹴り上げられたサッカーボールの視点だ。そしてふわりと着地する。
先ほどまでいた場所が丘のようにほかの場所より小高くなっていたことに今更気付いた。ブルーはその小高い丘から、この場所まで空を移動したことになる。
「おもしろかったかい?」
ゆっくりと身体を降ろされる。
身体に感触を戻すと足元でクシャリと芝生が悲鳴をあげた。降ろしたまま添えられたブルーの手からじんわり温もりが伝わってきた。
「……おもしろかったかい? ジョミー」
もう一度ブルーがジョミーの顔を見つめながら訊くので、うん、と戸惑いながらジョミーは返事をした。すると嬉しそうにブルーは笑う。わけがわからなかった。
「なら、それをぼくに教えてくれないか」
ぼくは前を見ていたから、とブルーは言う。そしてブルーはその場に腰を下ろした。
改めて見渡すと、ジョミーとブルーが降り立ったのは街を見下ろせる切り立った崖の手前だ。先程よりわずかに強い風がジョミーの髪を巻き上げていく。
「ジョミー」
手を握り、引かれる。だがジョミーは応じずに手を引き、ブルーの顔を見下ろした。
「ソルジャー、ぼくは……」
「ぼくは、君より遙かに長く生きている。君は思念波も表情も、感情すら正直でまっすぐだ。だから、だいたいのことはわかるさ」
ジョミーの言いかけた言葉を封じ、ブルーはさらに強くジョミーの腕を引いた。
見下ろしていたブルーの顔からは微笑みは消え、硬く、しかし泣いているかのような口調でブルーは言葉を続けた。
「だが、それはすべて想像だ。誤魔化しているだけなんだよ、それが真実かはわからないから」
だから、とブルーはもう一度強くジョミーの腕を引いた。今度はジョミーもそれに従い、ブルーの脇に腰を下ろした。
すると引き寄せられ、抱きしめられる。一度すべての感覚を無くしたせいか、温もりが心にまで染み渡るようだった。
「こうして確かめているだけだ。ほら、ジョミーは拒否しないだろう?」
「ソルジャー……」
「むしろ不満なのはぼくのほうだよ、ジョミー。君は真実を語ってはくれない」
ああ、そういえばちゃんと言ったことはない。キスは受け、彼に抱きついても、言葉にはしたことがない。
理由ははっきりとしている。手を繋ぐのと同じだ。慣れないことだから、照れる。
「ソルジャー、ぼくはソルジャーが好きだ」
言ってみれば、するりと唇から出てしまう。いつも思っているのだから、当然といえば当然だ。心の中では慣れきった言葉なのだから。
だがブルーは、ありがとう、とジョミーの肩口に顔を埋めた。背から回った手が、風と一緒にジョミーの髪をぐしゃぐしゃにした。
もっと、伝えなければいけなかったのだとやっと理解する。子ども料金で甘えていたのはジョミーだ。慣れないから、恥ずかしいからとブルーに甘えていた。
「どれだけおもしろかったか教えてあげるよ、ソルジャー。だから」
ソルジャーの見たものも教えて、と言う前にキスされた。ゆっくりと顔が離されると、ブルーは首を傾げて微笑んだ。あ、またわかってる顔だ。悔しいのでジョミーは違う言葉に差し替える。
「次はぼくがソルジャーを背負ってこの崖を降りるから、どんなだったか教えてよ」
ソルジャーの顔が驚きと困惑に揺れ、ここを?、と足元を覗き込んだ。
「それは、恐ろしいので遠慮するよ」
ジョミーは笑い、先ほどとは逆にブルーを抱きしめて立ち上がった。ブルーが嫌そうに首を振る。だが、それには構わずジョミーは崖の端を蹴った。
感想と文句は後で聞こう、ぼくらは二人だから見て感じたものはきっと違う。