ふと真夜中に目を覚ます。原因はこの頃毎晩のように届く微かな思念だ。
それはまるで春先の綿毛のように柔らかくふわりととんでくる。だがそこに込められた感情はそのイメージとは反対に秋に降る冷たい雨のようだ。
寂しいさびしいと泣いている。
思念は毎夜ごとに細く小さく薄くなっている。このままではあと数日でこの部屋には届かなくなるだろう。
だがそれは、この思念を発する者の感情が納まっているということではない。
日々の訓練そして周囲の感情の針が彼を突き刺している為に、思念の零れ出でる感情の扉が硬く閉ざされようとしているのだ。
「ジョミー……」
その身に届く思念をブルーは抱きしめた。これだけの寂しさを彼は独りで耐えている。涙を流すという感情の爆発に頼ることも出来ずに、ただ静かにやり過ごそうと胸に閉じ込めている。
この思念に艦内の特に思念に機敏な者たちは気付いているだろう。だが、手を差し伸べてやろうとした気配はない。
笑いや怒りを昼の顔とした彼の思念が、こんなにも柔らかく繊細だとは誰も思わないのかもしれない。
その上、その昼の仮面がジョミーを苦しめているのだろう。強い怒りばかりが先行し、子どもたちには笑いを振りまく。そんなジョミーの姿は艦内の者の同情を奪う。
だが昼の顔こそジョミーの寂しさの表れだと、なぜ誰も、ジョミー自身すらも気付かないのか。
「いつか来てくれると……」
期待していたのに、と自嘲気味に呟きながらブルーはゆっくりとその身を起こした。
休ませていた身体は節々からそして筋肉までもが悲鳴をあげた。身体を動かすごとに神経の切れるような音が微かな感覚となって身体を伝わってきた。
それでもブルーはシーツを捲り上げ、床へと足を落とした。
小さく息を吐く。両足へと体重をかけるのは久し振りだ。
慎重に力を込める。わずか膝に痛みを覚えたが立ち上がるのに支障はなかった。
小さく息をつく。生のある安心か、生への諦めかどちらともつかない溜め息だった。
だが無事に一歩を踏み出そうというブルーへ、戒めの声がかかる。
「どちらへお出でですか、ソルジャー」
ブリッジにいるはずのハーレイが瞬時に現れたモニター越しに顔を見せる。その額には皺が深く刻まれていた。昔の彼にはそんな皺などなかったなとふと思い出す。それはミュウの母艦を預かる者としての彼なりの勲章なのかもしれない。
ブルーは自分の答えが彼の勲章をさらに深めることと知りながら、さらりと返答する。
「ジョミーのところへ行ってくる」
「また暴走でも?」
嫌味なのかと問いたくなる。そんなことが起こっていようものなら、誰より先にハーレイの耳へと入るはずだ。そうでなければ艦のシステムとしては最低のものだろう。
ブルーは言葉を交わしながらゆっくりと歩を進めた。久し振りの風だとマントが空に遊ぶ。
その後ろをハーレイの顔を一面にしたモニターが追ってくる。
「ソルジャー、あなたが行くようなことではないでしょう。しかも生身でなど……」
ああ、どうやらハーレイもまたジョミーの思念に気付きながらも放置をしていた一人らしい。
その上で、今さら「では、リオを」などと背後で言い出した。
ブルーは腹立たしくなってハーレイを振り返った。
「ハーレイ、なぜ人には体温があるか知っているか」
真顔で問うと、ハーレイは間抜けな声を出して固まった。その隙にブルーは言い放つ。
「人を抱きしめ、温めてやる為だ」
マントを翻し、背を向けて歩き出すとハーレイはもう追っては来なかった。追ってきたなら、思念で撥ね付けかねないもやもやを胸に抱えてブルーは足を進める。痛みはもう慣れてしまっていた。
勝手知ったる艦内をブルーは歩んだ。ジョミーの部屋について正確な位置など知らなかった。
だが、今なお流れ続ける思念を辿りながら薄暗い通路を進む。
ジョミーの思念は刻々と変化をしていた。弱く細くなり、そして布に色が滲むように鬱々とした気分と疲弊感を、思念を受けとる者へと与える。
一方で諦めのような軽さも取り戻していた。だが、それでは結果として投げ出すことになるだけだ。
ブルーは曲がり角では時折立ち止まりながら、思念の根元を手繰り寄せるようにジョミーの部屋を探した。今一度、ハーレイでも呼び出して訊ねれば良いことだろうが、事これに関しては誰の手も借りるつもりはなかった。
全ての原因である自分を棚に上げる形ではありつつも、ジョミーを放置し続けた仲間へ苛立ちを感じずにはいられない。
必死な自分を不思議に思う。そしてブルー自身へ何故だと問う。
父性か母性か判断はつきかねるが、ただ守りたいだけだとブルーは答えを出さざるを得ない。
「……ジョミー」
なぜならば、こうしてドアを前に名を呼んですらブルーの胸腹からは、期待をしたまま待ち続けていた自身への後悔があふれ出し、ジョミーのもとへ急げと背中を押してくる。なれば、それ以外の答えを出せるはずもない。
「ソルジャー、ブルー……?」
閉ざされたドア越しに迷いのある弱い声が問いかけてきた。きっと彼も、なぜ、と感じているのだろう。
ブルーは一呼吸を置いて、慎重に的確な言葉を選んで言葉をかけた。
「ここを開けてくれ、ジョミー」
平らなドアに手を添えると、まるで熱が伝わるように内側のジョミーもそうしていることが知れた。畳み掛けるようにブルーは言葉を繋ぐ。
「逢いに来たんだ、ジョミー、キミに」
なぜ、と声もなくジョミーの唇が動くのが手に取るように伝わってきた。そして強い動揺がジョミー自身の思念を揺るがす。
「ジョミー」
低い声で呼びかける。両手と共に額をドアへ密着させると、ジョミーの手がそろそろと彷徨う様子が脳裏に視えた。
誰にも会いたくない。
ジョミーの思念が逃げる。
誰かに会いたい。
ジョミーの思念が欲する。
耐え切れずブルーは強制的にドアのロックを解除した。
「……あ」
小さな声が空気を通じ、ブルーの補聴器へと吸い込まれた。
そして戸惑いの瞳を潤ませたジョミーがブルーを恐るおそる見つめる。
「ブルー……、あの」
ええと、とジョミーは言葉を濁し視線すらも彷徨わせる。問いたい疑問を圧し留めるほど、ジョミーは恐れているのだ。このシャングリラ、そしてミュウを。
ブルーを信じると、ミュウを守るソルジャーとなることを了承しながら、その顔色を伺い自らの立場を信じず恐れている。
ならばとブルーは頬を緩く持ち上げ、黙ってジョミーの前へ手を差し伸べた。きょとんとした瞳がその手とブルーの顔を右往左往する。
「いいんだよ、ジョミー。ぼくなら甘えてもいいんだ」
それはまるで人に捨てられた犬を諭すようだった。
ジョミーはどうしたら良いのか分からずに、それをブルーへとそのまま問うような瞳をした。
「……おいで、ジョミー」
だが、そう優しく声をかければまるで主人へ駆け寄る子犬のように、ジョミーはブルーの身体へとその身体をぶつけて来た。
あまりの勢いに倒れそうになる身体を立てなおし、ジョミーの背中をブルーは優しく抱いてやる。
肩口に埋まった顔は強張り、唇を震わせていた。あまりに追い詰められ、泣きたいのに泣くことができないでいるのだろう。
抱いた背中を撫でれば、うう、と苦しげな声が発せられた。
「ジョミー、ぼくならいいんだ」
より深く刻まれるように同じ言葉をブルーは繰り返した。
「怖がらないで、甘えてごらん」
そう言うと、ジョミーは身体の動きを止めた。
抱きしめているのか、抱きしめられているのか、わからないほどの不器用な抱き合い方はブルーとジョミーの身体をより密着させていた。その全てからジョミーの体温が伝わってくる。興奮しているのか僅かに暑いくらいだった。
温めてやると言ってハーレイを突っぱねたというのに、ブルー自身が温められている現状にブルーは心中で苦笑する。結局、ジョミーへ逢い、甘えたかったのはブルー自身も同じだったということなのだろう。
「ジョミー」
名を呼ぶと、おずおずと顔がブルーの肩から上げられる。
ジョミーが声も発せずに口をぱくぱく金魚のように動かすので、ん?、とブルーは微笑んで首を傾げて見せる。
するとジョミーは小さな声で言葉を紡いだ。
「ほんとに、甘えて、い……い?」
「ああ」
いいよ、と答えきる前にブルーの唇はジョミーによって塞がれた。抱きしめ方と同じく不器用すぎるキスだ。
だがブルーは寛容にそれを受け入れた。手解きをするように柔らかくキスを返し、唇を薄く開けば、まるで知っているかのようにジョミーはそこへ侵入してきた。
そして唇の交差と共に身体の密着は深まった。
しがみつく様に抱きしめられ、ひっぱられたマントのせいで首元が締め付けられ、息が苦しくなった。否、キスのせいかもしれなかった。
どちらにしろ、このままではいけない。ブルーはゆっくりとジョミーとの間に手を差し入れ、二つの身体に空間をとった。
「…………」
僅かに離れただけだというのに、今にも泣き出しそうな瞳がブルーを見つめた。触れ合ったままの右腕がジョミーにぎゅっと握りめられる。
それにブルーは正面から対峙し、視線を外すことなく首元を緩めた。
「もっと温もりが欲しいなら、あげるよ。ジョミー」
それはジョミーがブルーの腕を引いたのか、ブルーがジョミーを押し込んだのか。わらかないまま二人は部屋の内側へ転げ込む。
そしてブルーの背後で、熱など決して通さないとばかりの分厚いドアが軽い空気音と共に閉じられた。