ごそごそという物音にブルーは瞳を開く。
最近では必要最低限のみの思念しか使用していなかった。青の間への侵入者すら誰かを判別することができないほどの細い思念だ。
だが、声もかけずに青の間へ侵入し、あまつさえ物音でブルーを目覚めさせるような腑抜け者は、一人しか思い浮かばなかった。
「……ジョミー?」
低く声をかける。すると、ぼんやりとひらけた視界の中で、ジョミーらしき影が動いた。
「ごめん、ソルジャー」
そう言って、苦い顔がブルーを覗き込む。その顔には雫となりそうなほどの汗が滲んでいた。それにブルーは少し驚いて、思わず手を伸ばす。
「ジョミー、どうしたんだい?」
なにかあったのか。声をかける前に、伸ばされた手はジョミーによって防がれてしまう。
「あ、汗まみれ、だから……」
言いながら、そっと手が戻される。それに微かな寂しさを覚えた。
ジョミーはそんなことは気づかないのか、そのままブルーに背を向けてしまう。そしていつも通りに、ベッドの脇で膝を抱えた。
「ちょっとだけ匿って。ソルジャー」
「なにがあったんだい」
深刻なことなのだろうかと危惧し、真剣な声で話しかける。すると、ジョミーはもじもじとして、やがてブルーの手元にオレンジ色のものを差し出した。
大きさはちょうど人の頭を覆うほど。その球形の壁面には、視界の確保なのだろうか、穴が開いている。
「ついでに、コレもあげる」
そう言って、ジョミーはぼろぼろと純白のシーツの上にカラフルな色を撒き散らす。
「……これは」
ブルーはオレンジ色の物体を片手に、カラフルな色を摘み取った。それは綺麗な色紙に包まれたキャンディーのようだった。
「ジャック・オー・ランタン?」
収穫を喜ぶハロウィンは地球政府統治下の教育都市においては一大行事だ。自然を尊び、その恵みを歓ぶという風習は地球への思慕意識を植え付けるためにもってこいなのだろう。
ブルー自身の記憶は乏しいが、ジョミーが毎年様々な衣装を見に纏い、家々を回っていた姿をすぐに思い出した。
ジョミーは、そうだよ、と呟いた。
「教授に頼まれてさ」
不満そうな表情で、ジョミーは床に腰を落としたままブルーのシーツに肘をついた。そして指先で拾い上げたキャンディーを弄ぶ。
「子どもたちを楽しませるためって言われたから引き受けたけど、こんなの変だ」
さらに顔をしかめさせて、まるでブルーを責めるようにジョミーは言った。
「百歩譲って、そんなもん被って子どもたちにお菓子配るのはいいよ。でも、なんであげた側から、それを投げつけられるんだよ」
そして、ジョミーは頬を膨らませてブルーを上目遣いに睨んだ。
教授によって子ども用にアレンジを加えた上、なにか違う古代行事も組み込まれていたようだ。ブルーは苦笑を返すしかない。
だが、ふとブルーは思い出した。そしてそれに苦笑すら薄れる。
「……ブルー?」
不満げなジョミーがさらに睨む。それでも、ブルーはすまないと口にしながら緩んだ頬が元に戻せなかった。
その代わりにジョミーの汗で湿った髪に指を通す。
「ぼくもジョミーに投げつけられたことがあるよ。キャンディーを」
「……へ?」
くすぐったそうに目を細めながら、ジョミーは素頓狂な声をあげてブルーを見上げた。
「やっぱりハロウィンだったかな。迷子になっただろう、ジョミー」
「あー」
そういえば。思い出すようにジョミーはしかめっ面をした。そのせいで皺のよった眉間に、ブルーは指先で摘んだキャンディーを押し当てる。
「助けようとしたら投げつけられたんだよ。おばけ!って」
ショックだったよ、とブルーは笑う。
するとジョミーは拗ねたように眉間のキャンディーを奪い取った。
「覚えてないよ。迷子になったのだって、パパのからかいのネタだったから知ってるだけだ」
そして奪い取ったキャンディーの包装をあっという間に剥いて、ぽいと口の中へほおりこむ。
「それはすまない」
笑って返すと、ジョミーはやはり不満そうな顔をした。そして包装を剥いたキャンディーをおもむろにブルーの唇へ押し当てた。
「アップル・ヌガー」
ジョミーはそれだけを口にする。
これは食べろということかな。ブルーは大人しく唇を開いた。
するりと咥内へ押し込まれたキャンディーは、確かにアップル・ヌガーだった。甘いリンゴの味がふわりとブルーを包む。
「これでブルーも共犯」
やっと満足げに笑い、ジョミーはブルーの脇でベッドに凭れかけた。
「さて、どうかな」
その返答の直後、空中にヒルマンの顔が映し出された。その顔は困り果て、疲労が色濃く見て取れる。
「ソルジャー」
「おや、ヒルマン。どうしたんだい?」
わっ、とジョミーがベッドの背に隠れる。だが、既に遅い。なにより、ブルーの手元にオレンジ色の物体が未だしっかりと握られている。
「そちらにジョミーが……、行っているようですな」
そしてヒルマンがジョミーの名を口にすると、その背後で幼い声が複数聞こえた。
ジョミーいたの。ソルジャーのお部屋だって。逃げた、ずるい。
その素直な思念が通信越しに伝わってくる。ブルーは頬を緩ませた。
「ソルジャー、すみませんがジョミーを捕まえておいてくれますかな」
ああ。そうブルーが答える前に、ジョミーがブルーとヒルマンの間に身を乗り出す。
「絶対イヤだ!」
それはまるで甲高い声のように耳に痛い思念を発した。思わずブルーは瞳を瞑る。
その間にジョミーは、ベッド脇に立ち上がった。
「ソルジャーがあげればいいよ。その方がいいだろ」
投げつけられ慣れてるみたいだし。まるで捨て台詞のようにそう言って、ジョミーは振り返りもせずに青の間を出口へと駆けて行く。
「ジョミー!」
通信越しにヒルマンが、幼い声がジョミーを呼ぶ。だが止まる気配はない。
そしてまたヒルマンは困ったような顔をした。
「すみません、ソルジャー。お邪魔をしました。ジョミーはこっちで捕まえます」
「いや。だが、困ったことになったね。ジョミーを捕まえたところで彼はお菓子をここへぶちまけて行ったよ」
ヒルマンの困惑が深まる。だが、ブルーは笑んで言った。
「ヒルマン、お菓子の回収に子どもたちをここへよこしてくれるかな」