Vie scolaire

 自習――それは学生にとって蜂蜜よりも甘い響きを持った言葉だ。
 ジョミーも例外ではない。黒板に大きく彩り豊かに書かれたその文字を見た途端、ジョミーの心は踊った。周囲を見渡せば既にそれを見たクラスメイトたちは各個プランを練り始め、ある者は友達とはしゃぎ、ある者は弁当を口へかきこみ、ある者は夢の中へと旅立っている。
 しかしジョミーはそれに倣わず、一瞬の嬉しさを噛み締めながら教室のドアを開いた。
 その背中にクラスメイトのスウェナが声をかける。

「ジョミー、どこへ行くの?」

「生徒会室。先生に聞かれたらそう言っといて」

 振り返って答えたジョミーにスウェナとその友人達は一様に笑顔を崩した。

「わかったわ。大変ね、頑張って」

「ありがとう、スウェナ」

 それだけを言ってジョミーは教室を出た。そして通り過ぎる教室から漏れ聞こえる授業中の音に、微かな優越を感じながら、生徒会室へ向かう。
 今頃スウェナたちはぼくの話をしているんだろうな……。
 ジョミーは小さくため息をついた。
 無理やりに押し付けられた生徒会長――ソルジャーの業務は忙しく、辛く、恐ろしく面倒だ。だが、スウェナたちにあんな哀れみの顔を向けられるようなことではない。むしろそんな顔をされることにこそ、一線を引かれたような寂しさを感じる。

「なんだかんだ言って、慣れちゃったからなぁ。ぼくも」

 やがて着いた生徒会室の前で鍵を取り出しながら呟き、肩を落とす。そして一連の動作のまま、ドアへ鍵を差し込もうとしてジョミーは手を止めた。

「……開いてる?」

 ちゃんと見れば引き戸が僅かにずれていた。乱雑に閉めたために、壁に弾かれてしまったのだろう。

「誰だろう?」

 その乱雑さからいってリオではない。泥棒だという線もあるが、この学園で生徒会の怪は有名すぎる。手を出してくる輩はまずいないだろう。フィシスの可能性も否定はしきれない。だが、そうだとすれば彼女のイメージは新たな境地へ突入だ。
 だとすれば、鍵を持っているのはあと一人しかいない。
 ジョミーは緊張にゴクリと喉を鳴らし、ドアノブに手をかけて一気に開いた。

「え……?」

 目の前に広がる光景にジョミーは思わず間抜けな声を漏らす。
 十畳ほどの室内に篭った空気、正面にある大きな窓にはカーテンが引かれたままで薄暗い室内、中央に配された会議用に連結された2つの長机の上には、リオによって整えられた書類の山。それらは昨晩ジョミーが離れたときと同様の光景だった。
 そこに人影はない。

「あれ、昨日鍵閉め忘れたかな?」

 皆で生徒会室を出るときはリオが鍵を閉める。昨晩も例外ではなかったはずだ。
 ジョミーは首を捻りながらドアを閉め、教室から持ってきた鞄をポイと無造作にデスクの上に置いた。

「ん?」

 微かな物音がョミーの耳を触る。
 なんだろ……?
 ジョミーは物音のした机の脇を覗き込む。

「……っ」

 そこで目にしたものにジョミーは思わず身体を引いた。その拍子に壁際の本棚に背中をぶつける。
 机の脇に並べられたパイプ椅子。それを四つ連結させた上に、細身の身体が横たわっている。
 机の下になってて、気づかなかった……。
 伸ばせばはみ出す脚を縮こまらせて、ブルーは上着を羽織ったまま寝心地が悪そうに身を捩る。
 そりゃ、寝心地は良くないだろうさ。
 溜め息とともにジョミーは頭を抱え、そろりとブルーの頭側へ移動する。そして横になり、あまりよく見えなかった顔を覗き込んだ。  頭の下には何も入っていないのか、くしゃくしゃの柔らかそうな布バックを枕代わりに敷き、腕は寒そうに固く組まれている。そして薄闇に慣れたジョミーの瞳に、ブルーの微かに高潮した顔と滲んだ汗が見留められた。

「なっ……、なにやってるんですか!」

「う、わっ」

 胸倉を掴むようにジョミーはブルーの身体を引っ張りあげる。その行動と怒声にブルーはぱっと目を覚まして驚きの声をあげ、すぐに「やあ」と睨みつけるジョミーに微笑みかけた。

「なに、やってるんですか」

「いや。授業をサボってたんだけど……?」

 ドスの利いた、という表現がよく似合うジョミーの声に、「おや、怖い」とブルーは両手を挙げた。だが言葉はどこまでもとぼけるつもりなのか、さも不良生徒だとばかりに理由を述べる。
 その対応にジョミーの怒りは脳天を突き抜け、ブルーを掴んだ腕に力が篭る。
 落ち着け。落ち着け、ぼく。いつだってブルーはこんな人間なんだ。
 心中で呟きながら、ジョミーは怒りを逃がすように深く息を吐き出した。

「だったら、家に帰るとか、せめて保健室へ行くとかして下さいよ」

 そしてゆっくりとブルーから手を離す。すると今度はどっと疲れがジョミーを襲った。フラフラと本棚へ正面から身体を預ける。

「なんだってこんなところで寝てるんですか」

 その背中にブルーの視線が向いているのがひしひしと伝わってきた。
 だが、ジョミーはそれを無視して、熱しすぎた心臓の早鐘を沈めようと深呼吸を繰り返す。
 すると俄かに金属の軋む音が聞こえ、すぐに背中側から抱きしめられる。

「……保健室に行ったら帰されてしまうじゃないか」

 耳元で低く深い声が響き、熱い吐息が耳腔部をくすぐる。
 冷めかけた感情が再び熱を得、ジョミーは怒鳴った。

「帰ってくださいよ。帰れ!」

 しかしジョミーの感情に反して、ブルーは抱きしめる腕に力を入れ、羽交い絞めにするようにジョミーを引き寄せる。
 ジョミーの身体がわずかに震えた。

「寂しいことを言うね。君を待っていたのに」

 ブルーは静かに笑いながらジョミーの肩に顎を乗せる。
 ジョミーが驚いて振り返ると、ちょうどその顔と正面から向き合った。

「……え」

「うん?」

 とぼけた返事をして、ブルーはジョミーの頬へ口付ける。ジョミーは咄嗟に逃げようと頭を動かすが、反対側からのブルーの手に阻まれてしまった。

「ブルー……。だって、そんなの……」

「まさか、昼休み前に会えるとは思ってなかった」

 起きて出迎えるつもりだったのに、とブルーは悪戯に笑いジョミーの耳部を口へ含む。

「ちょ、ブルー!」

「待ってた……、ジョミー」

 ブルーはそう言って、ジョミーの肩へ頬を寄せた。ジョミーは困り果てる。邪険に扱うことも、優しく対応することもできない。
 体調、悪いんだろうしなぁ。
 ジョミーを抱きしめるブルーの身体は火照ったように熱い。ジョミーは目を閉じて、しばし考え込む。

「……ジョミー、帰れって言わないのかい?」

 唸っているとブルーが耳元でまた笑った。不意を衝かれたジョミーは「ぎゃっ」と色気もない声をあげて、ブルーの身体を引き剥がした。

「あーもうっ。耳元で喋るなー!」

 そしておもむろに上着を脱いでブルーへと投げつける。
 もう、ブルーのことより自己保身だ。自身を護ること、面倒にならないことが最優先!

「とりあえず、それでも着てて下さい。リオかフィシスが来たら即刻帰ってもらいますからね!」

 あとコレとコレ!、とジョミーは机に置きっぱなしだった鞄から、ジャージの上着と飲みかけのペットボトルを引っ張り出して、さらにブルーへほおる。
 ブルーは投げつけられたジョミーの上着を顔に引っかけたまま、器用にジャージとペットボトルをキャッチした。

「ジョミーはぼくに甘いなぁ」

 投げつけられたジョミーの上着を顔から引き剥がしながら、ブルーは手元のそれらを見比べて呆れたように言った。

「あなたが強情なだけですよ」

「そうかい?」

 ジョミーは肯定の意を返す。すると、もう一度「そうかい」と呟いてブルーはジャージに腕を通した。
 そして無言でジャージの袖を見つめ、しばらくすると一旦置いていたジョミーの上着を手に取った。

「なんですか」

「……これ、君には大きくないかな」

 不満そうにブルーは呟く。その様子にジョミーは瞬間的に気づいて、ニヤリと笑った。

「ああ、そりゃこれから3年間着るわけですから、成長もするだろうし」

 態と語尾を上げて言い、さも当然とした仕草でパイプ椅子に腰を下ろす。

「……阻止してやる」

 そりゃ無理でしょ。
 ジョミーが突っ込む間もなく、ブルーは不貞腐れたのか連結した椅子にまた横になり、布団代わりにジョミーの上着を頭まで引っかぶった。
 すかさずジョミーは声をかける。

「あ。ブルー、予算会へ生徒会室の毛布とソファーって通る?」

 するとガタリと机が揺れ、その影から「OK」を示した手が姿を現した。だが、すぐに引っ込んでしまう。

「じゃあ、出しとく」

 ジョミーは鞄から取り出した会議用のノートに毛布とソファーを書き留めて、足元でブルーの横たわるパイプ椅子の裏を軽く蹴った。

written by ヤマヤコウコ