「ぎゃー、もう動くなー」
校庭の隅でジョミーは声をあげた。だが、周囲に人はおらず、頭上の木の葉が風に吹かれて笑うようなざわめきを返してくるばかりだ。
しかし、それにすら苛立ちを覚えたジョミーは、胡坐の上に置いていたスケッチブックをポイッとほおり投げた。そして制服が汚れることも気にせず、ふん、と鼻を鳴らして雑草の上に寝転んだ。
美術の授業で写生の課題を出されたものの、風景画など気が乗らない。ならば好きなフットサルでも描こうとしたが、動きが激しくて難しすぎた。
ジョミーはこれまでの経緯を思い出して盛大な溜め息を吐き、身体を大の字に広げて正面の空を見上げた。
あーあ、写生なんて写真でも撮っておけばいいじゃないか。
ぶーたれて見上げる空では、雲が高いところでゆっくりと動いていた。深く息を吸えば、微かに湿った草の香りが鼻をくすぐる。
このまま昼寝でも……。そう考えてジョミーは瞳を閉じかける。だがその前に、ジョミーの耳へ邪魔をする声が届いた。
「なんてヘタクソなんだ」
そして言葉と共にほおり出したはずのスケッチブックが顔面に落ちてきて、鼻を直撃する。ジョミーは痛む鼻を押えながら、慌てて起き上がった。
「なっ、ちょっ! ブルー!」
「起きたね」
よいしょ、と年寄り臭い声を出しながら、ブルーはジョミーの隣りに腰を下ろした。
「どういうつもりだよ、ブルー」
「どういうつもりも、サボっている悪いソルジャーにちょっとまあお仕置きを」
詰め寄るジョミーにブルーはしれっとそう返し、さらにジョミーが手にとっていたスケッチブックの角でジョミーの頭を小突いた。
「イタっ」
「おや、悪かったね。はい、消毒しょうどく」
言いながらブルーは小突いたジョミーの頭部を抱き寄せ、キスをしてくる。「ぎゃーっ」とジョミーは叫び声をあげて逃げようと身体を捻るが、ブルーの細腕にも案外と力があって離れることは叶わなかった。
ど、どこまでがお仕置きなんだ……!
ジョミーは頭を抱き寄せられたまま、上目にブルーを睨みつけた。
「ぶ、ブルーだってサボリじゃないか!」
「いや。ぼくは見学だが?」
ほらとブルーは目前のフットサルコートを示す。ジョミーたちに気づかずフットサルを楽しんでいる生徒たちは、確かに三年生のジャージを身に付けていた。
ブルーのクラスだったのか。
知らずに近づいてしまったことをジョミーはほんの少しだけ後悔する。だが、そう思いながらジョミーがブルーへと視線を戻すと、ブルーは悪気が抜けるほど嬉しそうな顔をジョミーへ向けた。
「まあ、三年間見学は続けるものだね。こんなにイイモノを校庭の隅で見つけるとは」
ジョミーの頭部を抱き寄せる腕にぎゅっと力が込められる。だがジョミーは抵抗もせずにブルーの口にした言葉を頭の中で繰り返した。
三年間、見学……。
それを自分に当てはめてみれば、なんて辛いことなのだろう。校庭を楽しげに駆け回る友人たち、それをただ見るしかない自分。たかだか45分、されど45分。2時間続きなら最悪100分。餌を目前に「待て」をする犬の如くいなければならないだなんて、ああ耐えられない。
ジョミーの胸へ一気に同情の念が湧き上がる。
ああ、ダメだ。目から水が……。
「じょ、ジョミー?」
ジョミーのその異様な雰囲気に気づいたのか、ブルーがジョミーの顔を覗き込んでくる。そして涙を見とめたのか、驚きのあまりジョミーの身体を手を離す。
「ジョミー、どうかしたのかい? ぼ、ぼくが悪いことを……。あ、頭? 角で叩いたのが痛かったのかい?」
おろおろと挙動不審にブルーはジョミーの表情を伺いながら言葉を連ねた。
その内にジョミーは袖口で自分の涙を拭い。心を決めて、ブルーへと向かい合った。
「じょ、ジョミー。すまなかった。ぼくがやりすぎたんだ、だから、」
なおも言葉を繋げるブルーの声に耳を貸さず、ジョミーはブルーへと身体を近づけた。
「ジョ、ミー?」
その迫力に押されてか、ブルーはじりじりと微かに身体を退ける。構わずジョミーは迫った。ブルーは退いた。それを繰り返してジョミーとブルーの鼻の先が触れ合うほど近づくと、ジョミーは力強くブルーの両肩を掴んだ。その勢いでジョミー共々ブルーの身体が草に倒れ、ブルーは声を上げた。
「うわっ」
ブルーの身体を組み敷くような形になったが、ジョミーは気にせずブルーの顔を見つめ続けた。今やその顔も動揺に歪んでいたが、それすらジョミーには気に留まらなかった。
三年間も見学だなんて、三年間も……!
そればかりがジョミーの頭を満たし、再び目に涙が潤んだ。そしてそれを払拭するがごとく、ジョミーは思いの丈を込めてブルーの名を呼んだ。
「ブルー!」
「ななななんだい?」
声を土漏らせながらも、ブルーは「どうしたんだね? お兄さんに言ってご覧」とばかりの顔を作ろうと懸命に頬を緩ませた。
しかし、それもジョミーには効果なく。再びジョミーは目から涙を滴らせた。ぽろぽろと零れ落ちた涙はブルーのシャツに染みを作った。
「ブルー、ぼく……」
言葉がうまく続かず、ジョミーは袖で涙を拭った。
そこでやっと落ち着きを取り戻し始めたブルーは、それでも動揺に震える手をゆっくりとジョミーの金髪に伸ばし、その頭を撫でた。
「ジョミー」
「ぼく、ぶるー、ぼく……さ」
三年間も見学はイヤだ。それだけの言葉が続かない。
ジョミーはなおも零れ続ける涙をじっとりと濡れたシャツの袖口でなおもゴシゴシと拭った。
「ほら。そんなに痛むなら保健室へ行こう。だからぼくの上から退」
「ぼ、ぼくは……三年間も見学はイヤだあ!」
しゃくり上げる息の間に、ジョミーはやっと言い放つ。眼下のブルーは呆気に取られた顔をしていたが、涙ばかりのジョミーの瞳には映らなかった。
やっと言えた……。
その安堵だけがジョミーにはあり、整わぬ息でさらにジョミーは捲くし立てた。
「だ、だからぼく、ブルーになんでも付き合うよ。美術なんてどうでもいいよ。なにしたい? サボって街まで行ってもいいよ。ほら、いつも帰りによるカフェでご飯食べるとか。あ、ぼくが奢るから!」
「あ、じょ、ジョミー……?」
「だって、……だって、三年間見学だなんて……」
再びそう口にするとジョミーの瞳から新たな涙が溢れた。それを隠すようにジョミーは背を丸めて俯いた。
視界の隅で、おろおろと手を彷徨わせるブルーにはやはり気づかなかった。
「だから、ぼく……」
「ジョミー?」
「だから、ぼく、ブルーのためなら何でもすっ……るぁ」
まるで告白のような言葉とともに、ジョミーはブルーへと圧し掛かった。だが、その語尾は頭に衝突したボールで濁ってしまう。
「……あ」
ぽーんとジョミーの頭から弾かれたボールを目で追いながら、ブルーは小さく声をあげた。
しかし、その胸へ息が詰まるほど重いものが倒れ落ちる。ジョミーだった。
「じょ、ジョミー? ジョミー!?」
「悪い! 大丈夫かー?」
失神したのだろうジョミーの肩をブルーは懸命に揺すった。
遠くでバカみたいに間抜けな気遣いをする人物へ視線を移せば、それはブルーのクラスメイトの中でも、サッカーのクラブチームから誘いが掛かるほどのツワモノだった。
そして彼と、数人のクラスメイトたちがにわかにジョミーとブルーへと近づいてくる。
「じょ、ジョミー。起きたまえ。ほら、保健室に行こう。ほら。ジョミー!」
かくして、妙な状態を発見されたソルジャー二人の妙な噂が広まった。