ゆるゆると意識が眠りの底から浮上する。
なんだろう。なにか、温かい……。
どこか不思議な感覚を抱きながら、ブルーは久方ぶりに意識の宿った身体を動かした。
「うーん」
そこへ気だるい唸り声が響く。瞳より先に思念で探れば、またジョミーがベッドの傍らで膝を抱えているようだった。
わざわざこの青の間を訪れて唸っているとは……。
瞳を開くより先に頬が緩み、声が出た。
「ブルー?」
突然の声に驚いたのかジョミーが慌ててブルーを振り返った。ブルーはそこでやっと張り付いていた瞼を開き、瞳に光を受け入れた。一度二度と瞬きを繰り返し、自分の顔を覗き込むジョミーをやっと視界へ受け入れる。
「ブルー」
名を呼び、ジョミーの顔がほっとほころぶ。だがスッとその身体が引かれた。それを追うと、ジョミーは枕元にポスンと軽い空気音を立ててうつ伏せた。
深い悩みではないのだろう、ブルーに知られることを拒む様子はない。むしろ聞いてくれとでも言いたげな態度だ。
また、長老たちになにか言われたのだろうか。
やれやれとブルーは苦く笑み、ジョミーへと腕を伸ばした。
「どうしたんだい、ジョミー」
指先をジョミーの髪に絡ませる。ジョミーはその誘導に従い、ゆっくりと顔をあげた。
「悩みがあるなら言ってごらん」
ジョミーはわずかに唇をパクつかせて少し迷い、口を開いた。
「ブルーは……、ミュウの大人たちは子どもたちにプレゼントをあげないの?」
え、とブルーは素頓狂な声をあげた。予想外の話題だ。
「プレ、ゼント?」
戸惑いながらブルーが問い返すとジョミーは強く頷いた。
「カリナたちに訊いたんだ。もうすぐクリスマスだから。『君たちはサンタクロースに何をお願いするの』って」
ジョミーは微かにうつむき、そのときを思い返すように苦痛に顔を歪ませた。
「そしたら、『サンタクロースってだあれ?』って……」
「サンタクロース、か」
ブルーは繰り返し、口を閉ざした。
クリスマス、サンタクロース。そんな祝い事ができるほど、シャングリラは今まで余裕を持ってはいなかった。休みなく仲間を探し続け、迎え入れる準備をする。少しでも怠れば、命が一つ消えるかもしれない。
そして誰もが祝い事に付随する「温かな家庭」や、その「幸せな記憶」を持ってはいないのだ。ブルー自身、その行事の体験記憶はない。ただ知識として知っているだけだ。12月25日、それを特別な日だとは誰も捉えない。
だが、ジョミーは違うようだった。ベッドに長座したブルーを見上げ、子どもたちを想って泣きそうな顔をしている。
「お祝いごとってさ」
そのジョミーが口を開いた。
「今日を喜ぶことだって」
「今日を、喜ぶ?」
ブルーが問い返すと、ジョミーは照れくさそうに「パパが言ってたんだけどね」と付け加える。
「みんなで『幸せな日を迎えられた』ことを喜んで、他の人に『あなたがそこに居てくれて嬉しい、ありがとう』って伝えるんだ。そうして伝えられることで『自分の居場所』が実感できる」
ジョミーはそこで言葉を区切り、視線を落とした。
「本当は一人ひとり、誕生日とかにできたらいいんだけどさ」
ああ、とブルーは納得する。ミュウには正確な誕生日がわからない者が多い。
ブルーは深く息を吸い込んだ。空気とともに吸い込まれた思念は、目覚めたときに感じたようにどこか温かく華やかだ。
「お祝いをするのかい?」
「うん。話をしたらカリナたちがやりたいって言い出して、リオに相談したんだ。長老たちはあんまりいい顔しなかったけど……」
ジョミーは反応を窺うように言葉を濁し、ブルーを見上げた。
反対などするはずがない。ブルーはそれに笑みで答えた。
「ぼくはいいと思っているよ。皆で楽しむことは悪ではない」
我々には辛い記憶が多すぎるからね。ブルーはその言葉を飲み込んだ。ジョミーにはわかっていることだろう。祝いごとを大切だと思えるならば。
「よかった。ブルーに怒られるかと思った」
「そんなことはしないよ」
でも勝手決めたから。ジョミーはそう言ってほっと頬を緩ませた。そのジョミーをブルーは引き寄せ、抱きしめる。
温かな記憶、強い意思。ミュウに必要だった力がジョミーから皆へ広まっていくことが嬉しかった。
「準備はいいのかい?」
「ハロルドとリオが率先してくれてさ。今はたぶんみんなで飾り付けを作ってるよ。ぼくはプレゼントの準備をしてくれって、言われた……んだけど」
言葉の流れがそこで行き止り、肩にジョミーの顔が埋められる。
先ほど悩んでいたのはこちらの方か。
ブルーは笑んで、からかい気味に問いかけた。
「プレゼントが見つからないのかい?」
うん、とジョミーは頷き、うな垂れる。だがジョミーはにわかにブルーの両肩を掴んだ。そして両の身体を引き離す。
「だって、ブルー! 必要な物はみんな持ってるって言うんだ。ボールも、人形も、何だって」
激しく言ったジョミーは俯むく。
「それに、ぼくらがもらっていたゲームとか、新しいスパイクとか、そんなものはここにないんだ……。今からなにか作ろうって思っても、ぼくは不器用だし、みんなは忙しいし。なにより時間もない」
どうしたらいいのかな。最後にぽつりと呟いて、ジョミーはブルーの肩に額を乗せた。
ブルーはふむ、と思考をめぐらせた。
「確かに、必要以上のものはこの船にはないだろう。不甲斐ない話だが、あまり余裕もない。だが、プレゼントというのはおもちゃである必要はあるのかな。君が言っただろう。『皆で祝うこと』それ自体がぼくらにはなによりのプレゼントだよ」
ブルーはそう言って凭れていたジョミーの身体を引き離し、正面から向かい合う。
「感じてごらん、ジョミー。できないのなら手を貸そう」
ジョミーの両手を自分のそれで包み込み、ブルーはシャングリラに溢れた思念を集めた。
「いまこのシャングリラを温かく華やかな興奮が包み込んでいる。子どもたちだけじゃない、みなパーティへ向けて抑えきれないほどに心を弾ませている」
夏の風のような熱く穏やかで、自然と心が弾む思念。子どもたちやリオ、ハロルドだけではない。話を聞いた誰もが、どこかで楽しみにそのときを待っている。
だがジョミーは、「それでも」と呟いた。
「子どもたちには、なにかあげたい」
必死な形相でジョミーはブルーを見つめる。それに対しブルーはわずかに肩を竦め、ジョミーの頬を両手で包み込んだ。
「ならば、まずぼくがジョミーにプレゼントをあげよう」
その意味するところを察したのだろう。ジョミーはぎゅうと瞳を閉じ身構えた。
しかしブルーはそれを確認した上で、ジョミーの頬へ口づける。
「……え?」
「ほら、ジョミー」
間抜けな声を出したジョミーをわずかに笑い、ブルーは手元を示した。そこには固めたブルーの思念を押し込んでいた。
「プレゼントだよ」
掌に包まれた可愛らしいラッピングも何もない小さな思念の箱。その意図がつかめないのか、ジョミーは首を傾げる。
「思念の、箱?」
「そうだ。見ていたまえ」
じっとジョミーが注視するのを待ち、ブルーはゆっくりと箱の蓋を開いた。そこから勢いよく光線が飛び出す。
「うわっ!」
突然のことにジョミーは仰け反りながら、その光線の行方を追った。光線はブルーとジョミーの頭上を一回りし、パンと弾ける。そして、パラパラと煌めく光を散らした。
「今のぼくにはこれが限界だが、君ならもっと凄いものができるだろう」
それから、とブルーは続け、もう一度ジョミーの身体を抱きしめた。
「こうして、一人ひとりちゃんと抱きしめてあげるといい」
ジョミーの腕がブルーの背中へ回され、ジョミーは強く頷いた。
「ブルーのプレゼント、ぼくがちゃんと伝える。もっと凄いのにして」
「ああ、そうしてくれるかい」
ぎゅっと一際強く抱き合い、ゆっくりと身体を離す。そしてジョミーは、ベッドの脇に立ち上がった。
「ブルーがサンタクロースだね」
照れくさそうにジョミーは言った。
「なら、ジョミーはぼくのプレゼントを運んでくれるトナカイかな」
頼んだよ、そう言って唇を交わす。そしてにわかにジョミーはマントを翻した。
「行ってきます!」
翻る紅いマントを見送り、ブルーはベッドに背を落とした。
ぼくへのプレゼントは、ジョミー、『君がいること』のようだね……。
そして、シャングリラに満ちる思念を感じながら、ブルーは再び眠りについた。