「まだ残っていたのかい」
ノックもなく生徒会室の扉が開く。ジョミーは持っていたペンを置いて、扉へと視線を向けた。
「……ブルー」
「ご苦労だね」
ジョミーが振り向くと、ブルーは扉に片手を添えたまま、にこりとわずかに微笑んだ。その笑みで、ジョミーは放課後にブルーと約束をしていたことを思い出した。慌てて立ち上がり、手元の書類をかき集める。
「ご、ごめん。すっかり……!」
「あっ、待ちたまえ」
乱雑にまとめようとした手を、今度はブルーが慌てて制した。ジョミーの手から書類を奪い、手際よくまとめていく。
「まだかかるんだろう? 付き合うよ」
トントンとまとめた書類を机で揃え、ブルーはもう一度ジョミーへ微笑みかけた。そしてその書類をジョミーへと手渡す。
「暖房は? つけていないのかい」
「あ。すぐ終わると思って、リオが帰るときに消してもらったんだ」
もう冷えてるよ。そう言い、ブルーは近くの椅子に薄い学生鞄を置いた。そして、分厚いコートから腕を抜く。ふわりとした質量から細い肩が抜き出され、その優雅な仕草にジョミーのわずかに心が跳ねる。
「ちゃんと温かくしないと風邪をひく」
そんなジョミーには気付かず、ブルーは脱いだコートを鞄に重ね、部屋の隅にある暖房機具のスイッチを入れた。続いて、開けたままの扉を静かに閉める。
「ジョミー」
「っな、なに?」
振り返りながら、ブルーはジョミーの名を呼んだ。突然のことにジョミーは手元の書類をバサバサと取り落とした。
「……あああぁ」
盛大に溜め息をつき、机と床に散らばった紙の束に満ちた視界から目をと出すように両手で顔を覆った。
「ジョミー……」
聞こえたブルーの声も呆れ気味だ。
うわぁ、なんてことだろう。約束を忘れた上に、仕事も終わってなくて、しかも仕事を増やしてしまった。
「ごめん。すぐ全部、片付けるから」
顔から手を離し、顔をあげる。するとジョミーの目の前にブルーの顔があった。そして、ブルーの顔は苦くジョミーへ微笑みかけた。
「きみは座っていなさい」
言葉とともに両肩に手が置かれ、押し返される。ジョミーはそのまま先ほどまで座っていた椅子に力なく座り込んだ。まるで操り人形が操者を失ったような感じだった。
「ブルー……」
「きみは疲れている。すこし休憩したまえ」
背を丸め、ブルーは床に片膝をつきながら、一枚ずつ書類を手にとっていく。やっと動き始めた暖房が、温かな空気を吐き出し、ヒラヒラと紙が揺れる。
「リオと会ったのに、きみがなかなか来ないから様子を見に来たんだよ」
「リオと会ったの?」
ジョミーは椅子に座り込んだまま、子どものように浮いた脚をプラプラと揺らした。自分だけなにもしないのは申し訳なかったが、ブルーの動く背中を見つめているだけで、すこし心が弾んだ。
ああ、とジョミーの問いにブルーは簡潔な言葉を返した。
「昇降口でね。少し慌てていたみたいだったが……」
「ああ。それはシドとハロルドと約束があったみたいでさ。だから先に帰ったんだ」
「それで一人だったわけだね」
うん。ジョミーが当然のように頷くと、ブルーは小さく溜め息を吐いた。どうかしたかな? ジョミーは首を傾げる。
少しだけ手を伸ばして机の上の書類をかき集めながら、ジョミーはちらちらとブルーの背中を見た。華奢な肩、細身の身体、女性よりは確かにしっかりとした体躯だが、なぜか儚い印象を受ける。
でも、抱きしめる力は強い、よね。
思い返すと、頬が火照った。
「……あ」
不意にぽつりとブルーが声をあげた。
「なに?」
「これ、誤字だよ」
え? とジョミーは椅子に腰掛けたまま、ブルーの方へ身を乗り出す。ブルーも手に持った書類をジョミーへと見せ、細く節骨の目立つ人差指でその一箇所を示した。
「ほら、ここの『納める』は『修める』が、」
ふんふんと、数度ジョミーが頷いたとき。ぐらりとジョミーの身体が傾いだ。身体が浮き、ジョミーは思わず目の前のブルーへ腕を伸ばす。
「っ!」
二人は同時に息をのんだ。椅子の倒れる大きな音が小さな部屋に響き、鼓膜をいつまでも揺らした。
突然のことに心臓が激しく動き、吐息が整わない。はぁはぁとどちらのものとも判らない呼吸が混ざり合う。
「ブ、ルー……大丈、夫?」
「あ、ああ」
呼吸の合間に会話を交わす。ブルーは瞳を閉じ、ふう、と一段と深く呼吸をした。
キスしたい。
一瞬ジョミーはそう思ったが、ぐるりと首を反転させることでその気持ちを追い払う。そして、今はそういうときじゃないだろ、と自分を叱咤した。
「どうかしたかい、ジョミー。どこか、打った?」
「ううん、大丈夫だよ。すぐ、退くから」
息が整うにつれて節々が痛んだのだが、いつまでもブルーの上に乗っているわけには行かない。ジョミーはそう言って、身体を浮かせた。
「それは惜しいな」
だというのに、ブルーはジョミーの首に腕を回してジョミーを拘束する。さらにブルーはジョミーを強く引いた。
「うっわ」
そのためジョミーはバランスを崩し、ブルーの上に再び倒れ落ちる。
「ブルー」
困惑気味にジョミーは名を呼ぶが、ブルーは余裕の表情で、まさに「惜しい」と言ったとおり、ジョミーの身体を抱きしめ、ジョミーの頬に自らのそれを擦り付けた。そして、顔をわずかにずらし、頬に唇を寄せる。
「ねえ、ジョミー。キスしていいかな」
い、いま? ジョミーが答える前に、ブルーの両手が首筋をなぞり、ジョミーの両頬を包み込む。そして、ブルーの薄い唇がジョミーのそれに軽く触れ、すぐに離れる。
「しちゃった」
そう言ってブルーはまるで子どものように笑った。その顔に、ジョミーはもうすべてのことを放棄した。キスしたい。それだけが残る。
「もっと、していいかい?」
ブルーは自信たっぷりにジョミーの耳元へ囁く。ジョミーは答えの代わりに瞳を閉じた。