「お前って、苦労性だよな」
マツカの目の前で、セルジュはそう言って紙パックから突き出たストローを口に含み、一気に啜った。
「え、なんでですか?」
「ほら。いまだに俺に敬語だ。……いや、それは関係ないか」
歯で噛み潰したストローの先から最後にズズッと吸い込む。そして丁寧に紙パックを潰して、数メートル先のゴミ箱へと投げ入れた。それをマツカはじっと見つめて待っていた。
「さっきだって、掃除当番代わらされてただろう」
「いや、だってぼくは文化部ですから」
「そういう問題じゃない」
マツカはセルジュの言うところが理解できずに首を傾げた。だが、気分屋の気のあるセルジュは、すぐに新たなものへと興味を移してしまった。
「お。シロエだ」
「シロエ?」
セルジュは背にしていた窓の先に目を留めた。そして慌てて窓の鍵を開ける。涼しい風が室内へと吹き込んできた。
「工学部の後輩だ。おい、シロエー!」
マツカも席を立ち、セルジュの脇から外をのぞき込む。窓に面した中庭には移動中なのか、賑やかに会話を交わしながら生徒がぞろぞろと歩いていた。あの人数から、セルジュは当該の人物を見つけ出したのか。自分には到底出来そうもない。
そしてセルジュの呼び声に対して、群のうち一人が足をとめ、セルジュとマツカを見上げた。どうやら彼がシロエらしい。小柄な体躯だが、臙脂色のリボンタイで八年生だということがわかる。マツカは自分の首元へ目を落とした。濃緑色のリボンタイ、九年生の証だ。
「シロエ、今日は工学部に顔出せ。例のプログラミングが上手くいってない」
セルジュは窓から身を乗り出してそう叫ぶ。すると元気の良い、しっかりとした声が返ってくる。
「わかりました。少しだけですよ!」
ああ、とセルジュは返事をし、にわかに窓を閉める。途端、寒さが身を包んだ。暖かさに包まれていたときには気付かなかったが、外気はもう相当冷えている。セルジュも同様なのか、寒いさむいと自らを抱きしめるように二の腕をさすり、教室の内側へと場所を移した。マツカもそれについて行く。
「少しだけ、って?」
「え? ああ、シロエか。あいつは正式な部員じゃない。ただの機械好きだ。父親が工学者とか言ってたか」
もったいないな、とセルジュは木製の椅子へ腰を下ろした。マツカはその隣りの机に腰を凭れる。
「もったいない?」
「才能をそのまま自分の価値だと思ってる。だから成績も満点だし、スポーツもそれなりにできる、できるように頑張ってるって言うか」
うーん、とセルジュは当てはまる言葉を探して、空を見上げた。
その間に、マツカはシロエを見た窓辺へと視線を向けた。余すほどの才能を持っているシロエ。あの元気の良い、しっかりした声がマツカの耳に残っている。
「……極度の、負けず嫌い?」
「まあ、そうだ」
ふと思い至って呟いたマツカの言葉をセルジュは肯定した。そして呆れ気味に溜め息を吐く。
「今だって、噂じゃ高等部のキース・アニアンに喧嘩売ってるとか聞いたな。例の転校生」
シャングリラ学園は幼稚舎から大学まで一貫した学校だ。他校からの転入生は非常に珍しいため、高等部の人物といえども有名だ。しかも彼には転入早々生徒会へ乗り込んだという噂すらあるために、マツカでもその名を知っていた。
「喧嘩って。先生に知れたら……」
「それは言葉の綾。とにかく勝負挑んでるってことだ。シロエにとっては、自分より有能な人間がいるのはまずいんだろう」
まずい?、マツカが問い返すと、セルジュは強く頷いた。
「自分の才能が自分の価値、ってことはその才能が超えられたら、自分の価値はなくなるってことになる。だから必死なんだ」
それだけがシロエじゃないんだけどな。セルジュは付け加えて、もう一度溜め息をついた。
「ぼくには価値がない人には見えませんでしたけど」
「誰だってそう思うよ。あ、お前もそうだ」
突然自分が話しにでて、マツカは驚きに身を縮こまらせた。だがセルジュは、ああ。それだよ、とマツカの態度を示す。
「本当はデキるくせに、誰かを気にして縮こまって。面倒なことも引き受けて。ホント、苦労性で難儀なヤツ」
そんな風に見えているのか。マツカは自分を振り返って、うーんと唸った。セルジュはそれを訝しげに見る。
「なにか不満か?」
「いえ。でも、たぶん、セルジュが思うよりぼくはしたたかですよ。さっきの掃除当番だって、これで手を打ったんです」
言いながらマツカは制服のポケットから、小さな紙切れを取り出して見せた。
「こんなもので?」
「ぼくの好物。シャングリラ学園特製、ソルジャー・プリンの限定整理券です」
ソルジャー・プリンと言えば、売店の開店一分で売り切れるという限定十五個のレアものだ。その競争は熾烈を極め、マツカなどの体格では猛者たちに蹴散らされて終わりだ。そもそも正規の授業終了時刻に教室をでていては、まず手に入らない。
「限定整理券、ってそんなものあるのか」
そりゃそうですよ、とマツカは宝物のようにその整理券を掌で包み込む。
「体格のいい特別な人間にしか手に入らないなんて不公平でしょう。なので、ときどき生徒会役員や教師がこういうものを作って『良い生徒』に配るんだそうです」
はあー? セルジュは盛大に呆れた。「それでどうやってお前はそれを手に入れたんだ」
「この前、代理で教室掃除をしていたら担任のエラ先生がくれました」
エラ先生……。セルジュは呟いてガクリと肩を落とした。それに対し、マツカはにこりと笑む。
「どんな面倒ごとにも、得るものがあるものです」
「マツカ、お前のそのしたたかさをシロエに分けてやりたいよ。あいつは一直線だから」
プリンを得たいなら、あの競争に真っ向から挑む猛者だ。セルジュはその黒髪をかきあげて、マツカを見上げた。
「今日お前も工学部に顔出していけ。シロエに紹介する」
「ええ。ぼくも彼とは話をしてみたいです」
いろいろと面白そうですし。マツカが付け加えると、セルジュは「ああ、そうだな。いろいろな」と諦めたように再びうつ伏せた。
「そんなに落ち込まなくても、プリンが手に入ったら分けてあげますよ?」
そういうことじゃない……、ぼそりとセルジュは呟いたが、マツカは首を傾げただけだった。