HADASHI

 そこに着くと、まず靴を脱いだ。
 次にヒラヒラといつも背後ではためく邪魔なマントも脱ぎ、丸めて脱ぎ散らかした靴のとなりに投げる。それだけでいつもよりずっと身体が軽くなった気がした。思わず上空へ向けて身体を伸ばす。閉じた瞼の裏側にまで光が透けて見えた。

「きっ、もちいい……!」

 大きく空気を肺へとり込む。気管を温室の熱く湿った空気が通るのが内側で感じられた。
 同時に周りを囲み壁が見えないほど生い茂った木々や、草花の香りが身体中に浸透していく気がした。それを充分に吸収する。
 そしてゆっくりと時間をかけて、その名のとおり空っぽの気体を吐き出した。
 一連の動作に息が詰まるような窮屈さを首もとに感じ、すぐに首もとの飾りに指を引っ掛け、鎖骨の下辺りまで引きおろす。
 健康的な色をした肌が温度の異なる空気に晒され、一瞬身体が寒くもないのに震えた。

「ジョミー」

 背中の向こうから声がした。ブルーの声だ。
 すぐに身体を反転させその姿を確認すると、脳裏で思い浮かべたとおりにブルーがドアを抜けてこちらへ歩んできていた。

「ブルー」

 ここで待ち合わせていた相手は遅刻も気にしない様子で、ゆっくりと歩いていた。
 ふわりふわりとブルーの背後では、ジョミーが先ほど脱ぎ捨てたのとおなじ形のマントが揺れている。異なるのはその色だ。ジョミーのものは濃い赤色で、ブルーのものは綺麗な藤色だった。
 そういえばママが藤の花言葉は「歓迎」だと言ってたな。ぼんやりと思い出していると、それを体現するようにブルーはこちらへ向けて腕を広げた。

「待たせたね。ハーレイたちの小言が長くて参ったよ」

 君の所為だよ。ブルーは続けてそう言った。そして、くい、と腕を曲げる。おいで、ということなのだろう。だが、それに素直に従う気にはなれなかった。

「遅刻は遅刻だ」

 そう言ってぷいっと顔を背ける。でも、横目でブルーの様子を確認するのは忘れない。

「そうしていじけて見せても、ぼくはなにもしないよ。ジョミーは寂しくなったら、ちゃんと戻ってくるからね」

 だが、余裕の表情でブルーは背後を通り過ぎた。その際に、ぽんぽんと子どもを宥めるようにジョミーの頭を軽く叩いていく。
 子ども扱いだ! そうは思うが、実際ブルーに比べれば子どもだった。なんたって相手は三世紀に亘って生きるミュウ最高齢の長殿だ。そんな人間と比べたら誰だって子どもだろう。
 しかし、ジョミーがむっと不満に頬を膨らましている間に、ブルーは先ほどまでジョミーがいたテラスへと近づいていた。そしてなにも気にしていない様子で声をかけてくる。

「もう靴を脱いでなにをするつもりだい。水遊びでも?」

 気にしないにもほどがあるんじゃないかと思うほど普通の問いかけだった。
 しかし、遅刻の理由はたしかにジョミーなのだろう。今日の訓練でもだいぶへまをやらかしてきたのだ。長老たちからブルーへと愚痴が伝えられても仕方がない。そう思うと非難もできない。

「ブルーのいじわる」

 ジョミーは辛うじてそれだけを抗議した。
 だがブルーの余裕のある表情は崩れない。むしろ嬉しそうな顔をジョミーへ向けてくる。
 くそう。ジョミーは心中で悪態をつき、足もとの小石を爪先で蹴飛ばした。いつもならばなにも感じないはずだったが、いまは素足だ。わずかに痛みが走る。
 そして飛んでいった小石は吸い込まれるように音もなく近くに流れる小川へと沈んでいった。

「ぼくも付き合っていいかい」

「……え?」

 ジョミーは驚いて振り返った。
 ぼんやりと小石の行方をジョミーが見ているうちに、ブルーは片足だけ靴を脱いでいた。
 そして振り返ったジョミーへ向かって、脱いだばかりの靴をわずかに掲げて、「いいだろう?」と首を傾げてみせる。

「ぼくは止めないけど、風邪引いても知らないよ」

「じゃあ遠慮なく」

 ジョミーの忠告も聞かず、ブルーは脱いでいないもう片方の靴へと手をかけた。
 そしてジョミーが乱雑に脱いだ靴とマントの隣りに、色違いのブルーのものが並べられた。

「なにをするんだい?」

 靴とマントを脱ぎ、ジョミーと同じ姿になったブルーが問いかけながらジョミーの隣に立った。
 ブルーは「裸足はいいね」などど、足もとの芝を何度か踏んだ。

「別に、なんだが邪魔だったから」

「……そうか」

 ジョミーはぶっきらぼうにそう返した。言い方は問題があっただろうが、それが素直な理由なのだから仕方がない。
 しかしブルーは拍子抜けすることはなく簡単にそう返し、ジョミーの足もと、小石の消えていった小川の淵に座り水中へ脚を浸した。

「冷たいね」

 ブルーは一言だけ呟くと、ジョミーへ背を向け爪先で流水と戯れ始めた。
 爪先が水中で蝶が舞うようなゆるやかな曲線を描き、警戒しながら周囲を泳ぎ回る小魚を追いかける。ときおりわずかに水が空へ跳ね上がり、ぴしゃんぱしゃんと音がした。それをジョミーはブルーの頭越しに見つめた。

「……ジョミー、好きだよ」

 沈黙が支配しようとしていた空気をぽつりと零されたブルーの言葉が引き裂いた。

「なっ、に」

 突然の言葉に、なに言ってるんだよ!、とジョミーは続く言葉を失いながら眼下を見た。
 するとブルーの赤い眸がゆっくりと振り返り、じっとジョミーを見上げた。
 まるで芝から熱が伝わるように段々とジョミーの身体が恥ずかしさに熱くなる。

「キスがしたい、ジョミー」

 ブルーはさらに恥ずかしげもなく甘ったるい言葉を口にした。
 思わずジョミーは身体を引き、後ずさる。

「っ、ブルー。なに言って……」

「いや。ぼくのほうが先に寂しくなってしまったみたいでね。だから戻ってきてくれるかい」

 一人で水遊びをしてもつまらないんだよ。ブルーはまるでなにか自慢をするかのように言い、にっこりと笑った。
 ジョミーは怒鳴りたかったが、言葉が上手く口から出てくれなかった。
 言葉に困り、もどかしくなりながらジョミーは、ああもう!、と芝生の上に正座して、ぎゅっと眸を閉じた。

「さあ、どうぞ!」

「では遠慮なく」

 言葉に続いてすぐに唇にわずかに湿った柔らかなものが押しつけられる。
 脚を水に浸して身体が冷えたのか、その温度はいつにも増して低かった。
 だがその分、ブルーの唇はジョミーの温度を上げるように攻め立て、奪うように追い詰めた。

「んっ、う」

 ジョミーは声を洩らした。すると少し攻めが弱められる。このあたりはブルーの甘いところだとジョミーはこっそりと思っていた。
 そして落ち着きを取り戻した柔らかなキスの合間に、先ほど吸い込んだのとは異なる匂いがジョミーの鼻をくすぐった。
 微かに甘く、さっぱりとした香り。いつも青の間で感じるブルーの匂いだ。
 ジョミーはくんと鼻を鳴らして空気を吸い込んだ。だが、楽しむ間もなく勝手に満足したブルーの唇はジョミーの意思に反して離れていく。
 ジョミーはむっとしてブルーを睨んだ。

「どうかしたかい?」

 問いかけの最後に、すこしふっくらとした唇をブルーの下が舐めた。これでおしまい、とばかりのその行為にジョミーは言葉を発しないまま眉間の皺を深めてブルーを睨み上げた。
 すると、ブルーはおやおやと微笑んで両腕を広げた。

「おいで」

「ブルーのいじわる」

 先ほどと同じ言葉を呟いてジョミーはぎゅっと開かれた胸に倒れこむ。
 ブルーは「ほら、戻ってきた」と嬉しそうに笑い、ジョミーの耳元へ唇を寄せた。

「おかえり」

 言いながらブルーは耳の上部を甘噛みし、その身体でジョミーの身体を包み込んだ。
 ジョミーはそれに答えるようにぎゅっとブルーの身体を抱き締め返し、もう一度、とキスを求めて顔を上向けた。

written by ヤマヤコウコ