チョコレートを掻き混ぜる。湯煎で溶かしたミルクとビターのチョコレート。タージオンの髪みたいに黒いビターチョコレートとツェーレンの肌みたいに明るい焦げ茶のミルクチョコレートがボウルの中でマーブル状に混ざっていく。完全に混ざるまではもう少し時間が必要そうだ。
「ペス、チョコレートの用意できた?」
真っ白だったはずの薄力粉がいつの間にかアルテラによって今は綺麗な茶色に姿を変えていた。
私って作業遅い? ペスタチオは自分のボウルと見比べながらアルテラに答えた。
「まだだよー。ツェーレンは?」
「私もまだよ」
ツェーレンも銀色のボウルを抱えて振り返る。アルテラはしょうがないわねと甘い香りに満ちた厨房の反対側を見た。ペスタチオとツェーレンもそれにならう。その六つの瞳の先では、あまり似ていてない兄弟タキオン、タージオンと、長い前髪で眸の隠されたコブがステンレスの調理台に縋り付くように俯せている。
「……もう味見は無理そうだよ、アルテラ」
「そうね」
アルテラは大きく息を吐き出し、細い肩を落とした。僅かに丸みを帯びた胸が揺れる。
ペスタチオはボウルと同じように自分のものと見比べた。アルテラはだいたい十四歳、ペスタチオは八歳ほどの見た目に成長していた。実際には一歳にも満たない自分なのだから、これでもたいした成長だ。だが、もとから小さな体つきと見た目が相まって、今もチョコレートを溶かすくらいしかさせてもらえていない。ちょっと不満だ。
しかし不満の根源は他にある。アルテラはトォニィにチョコレートをあげようと躍起になっているし、ツェーレンもなぜだか乗り気だった。だがペスタチオには作ったところでチョコレートをあげる宛がない。既にタキオンたちは甘い香りすら苦痛な様子だし、トォニィにはアルテラがいる。この状況で自分は誰にあげればいいというのだろう。
ま、いいけどねー。考えている間に境目のなくなったチョコレートをハート型の容器に流し入れる。それを一つだけ作るとペスタチオはアルテラにボウルを渡した。
「ありがと、ペス」
アルテラはガトーショコラの内側にチョコレートを流し入れ、フォンダンショコラにするつもりなのだ。
ペスタチオは指先に付いたチョコレートを赤い舌で舐めとった。そしてハート型の容器を冷蔵庫へそっと押し込んだ。
むわっとした甘い香りがさらに満ちていた。
「はい。トォニィ、食べてたべて」
香りより甘い声に促され、トォニィが「あぁ、うん」と頷く。一人だけ閉め出されていたトォニィが引き込まれ、調理台の上にずらりと並べられたチョコレート菓子の目の前に座らされていた。
「お前たちはいいのか?」
「いいよ。一人で食え」
振り返ったトォニィに苦く笑いながらタキオンは調理台の上に肘をつき、手首から先だけを「いいよいいよ」とひらひら動かす。彼らの目の前には袋詰めされたクリーム色と茶色のクッキーが一人ひとつぽんぽんと置かれていた。それらの製作者であるツェーレンは温かいうちにとブリッジクルーの元へそれらを持って行ってしまった。親譲りなのか、ナスカチルドレンと呼ばれる中でもツェーレンは他のクルーと親交が深い。
ペスタチオは自分の手元に視線を落とした。行く宛のない自分のチョコレート。もうペスタチオの胃袋に収まるしかないのだろうか。
「……グランパも誰かからもらったかな……」
アルテラの作った菓子を口に運んでいたトォニィがぽつりと呟いた。はっとして顔をあげる。潰れていたタキオンたちを含め、ドアの脇では戻ってきたばかりのツェーレンまでがトォニィを見ていた。
「トォニィ……」
アルテラがトォニィの俯いた顔を覗き込む。
「今のジョミーにチョコなんてあげたら、きっと怒られちゃう」
「そうかな……」
「そうだよ。ジョミーは優しいジョミーじゃなくなっちゃったもん」
トォニィに顎が悔しげに喉に引き寄せられた。ペスタチオは手をぐっとにぎりしめた。じわりと掌に汗が滲むのがわかった。
「……あたし、あげてくる」
トォニィからペスタチオへ全員の視線が移る。驚きだけで満たされた瞳はペスタチオに恐怖を抱かせた。それから逃げるように、ツェーレンの脇から外へ飛び出そうと身を翻す。
「待て、ペス」
だがその二の腕に太い指が絡みつく。甘い香りに潰れていたはずのタキオンがそこにいた。「……直接、渡すつもりか?」
「そうだよ。あたしなら見た目は小さいし、ジョミーだって怒らないかも」
「でも、怒られるかも」
兄さん、とタージオンは言葉を続けて、ペスタチオの二の腕から握り締めたままのタキオンの手を剥がしとる。
「こういう『いたずら』はみんなでしなきゃ。ね、ペス」
タキオンの手の代わりにツェーレンの手が肩に置かれる。ツェーレンの言葉に応じてタージオンが「ね?」と振ると皆が笑った。
「ねぇ、大丈夫かな?」
「静かにしてろよ、ペス。リオの話じゃ、しばらく前に部屋に戻ったって」
ジョミーの部屋の前でペスタチオとトォニィは声を殺しながら唇を動かした。秘密の会話なら思念の方が便利だが、この場所で下手に思念を使えば、それこそジョミーに気付かれそうで思わず原始的な方法をとる。
「それって寝たことになるのぉ?」
「グランパは睡眠以外で部屋には戻らない」
トォニィは行くぞ、とカードキーをチラつかせた。問答無用で室内へテレポートすることもできたが、わりにあっさりとリオから非常用のキーを入手できたのでやはり原始的な方法をとることにした。
トォニィに頷きを返し、ペスタチオはじっと息を潜めた。本来手を翳すはずのキーポートにカードをかざし、認証されるのを待つ。一瞬のことのはずなのに、なぜだかイライラするほど長く感じられた。
軽く音を立てて認証されると、呼吸をするように息を吐きだしてドアが開く。中で物音がしないことを確認しながら、ペスタチオはそっと身を部屋の中へ滑り込ませた。トォニィはドアが閉まらないように、スラリと伸びた長身でドアを押し留めた。
「早くしろ、ペス」
こんな現場が長老に見つかっても事だった。ペスタチオは小さな身体をさらに小さくかつ素早く動かして部屋の中心を陣取るベッドに近づいた。
ベッドの上にはソルジャーとしてのマントを身にまとったまま横たわるジョミー。見た目はトォニィよりも少し上、17歳くらいだろうか。だが、実際には見た目の倍近くの年月を生きている。シャングリラにいる長老たちに比べれば断然ひよっこなのだろうが、ペスタチオには親ともなれる年齢だ。
こんなカッコで寝てるんだ……。ペスタチオは小さく息を吐き出した。ジョミーをじっくりとみることなど、もうだいぶなかったことだ。まっすぐに上を向いたままベッドに眠るジョミーはまるで棺の中にでもいるかのように身体を強張らせ、もとから細身の身体はいくらか痩せたようにも見えた。瞳を閉じた顔に表情はなく、昔のへなちょこジョミーのようにいつ笑ってもおかしくなかった。
ペスタチオは手に握り締めていた箱をそっとベッドの端に乗せた。仰向いたままのジョミーの様子を見るに蹴落とされる心配はなさそうだ。
ペス、とドア際からトォニィが急かす。ペスタチオは来がけとは対照的にわざと音を立てるように駆け足で部屋を出た。