ブルーが14歳の頃はどうだったのさ。
怒りの最中、ジョミーのあたり散らした言葉にその場のブルーは無言で困ったように笑んだ。
そしてその翌日、今度ははにかみに似た僅か嬉しそうな笑みをジョミーへ向けた。
「14歳の夢を見たんだ。なんとなくジョミーに似ていたよ。やんちゃ坊主だった……」
その頃のジョミーの興味は「14歳のブルー」より、自分の窺い知らぬところでブルーの笑顔が生まれ出でたことの方に不満を感じ、ぎゅうとブルーの身体に抱きついた。
「嫉妬かい?」
ジョミーは言葉を返さなかったが、ブルーは嬉しそうな笑顔を変えぬまま14歳だったジョミーの髪を撫で、額の隅に唇を触れた。
そのブルーは宙に消え、ジョミーは既に31歳――ソルジャー・シンとなっていた。
 
ジョミーは空になったベッドへ腰を下ろした。
ブルーを失い。ナスカで多くの仲間を失い、ジョミーの心の中は静まり返っていた。自分でそう意識が出来るほどに空虚だった。
「ブルーが14歳の頃はどうだったのさ」自らの発した言葉が持った剣を、ジョミーはいまごろになって自らに突き刺していた。
14歳から31歳、あいだの17年に自分はどれだけの罪を犯してきたのだろう。それは成長というよりは、白紙を汚すような感覚だ。
ジョミーは自らの耳元へ手を伸ばし、補聴器を外した。手元へ置き、じっと見つめる。
ブルーはどれだけのものを捨ててきたのだろうか。どれだけの想いを背負っていたのだろうか。
……14歳のブルーは、どんな子どもだったのだろう。
掌に思わず力が篭もり、補聴器が擦れるような音を立てた。
ブルーから引き継いだ補聴器には彼の記憶が詰まっていた。だとすれば、あのときの、夢で見たという14歳のブルーも記憶として残っているのではないだろうか。
ジョミーに似ていたという、やんちゃな14歳のブルー。
ゆっくりとジョミーは瞳を閉じた。わずかに冷たい風が開放された耳をなでる。
逢える、だろうか。ジョミーは躊躇いながらもゆるゆると補聴器へ意識を浸透させていった。
 
ふわりと頬をやさしいそよ風がなでた。青の間で感じた冷たく湿気を帯びたものではない。さわやかな、すこし暑いくらいの風だ。
ああ、やはりあったのか。
ジョミーは補聴器にその記憶が残っていたことをわずかに恨み、自分のしていることの馬鹿さ加減に溜め息を吐いた。
だが、来てしまったものは仕方が無い。とりあえず、「彼」を確認してすぐにでも戻ろう。
ジョミーは想いを決めて瞳を開いた。
「……っ」
ジョミーは思わず息を止めた。ジョミーの深緑色の双眸へ同じ色が映りこむ。一面の草原、その先には金網が張られたテニスコート。その隣りには土色のフットサルコート。その並びへ沿うように樹木が並び、その間を車が走り去っていく。
ここは育英都市の公園か。
ジョミーは溜まった息を吐き出した。ジョミーはいま、ベッドの代わりに明るい木目のベンチに腰掛けていた。
にぎやかな音がジョミーの耳を騒がしくする。子どもたちの笑い声、その母親たちの談笑、動物の鳴き声、都市的な車の音。
懐かしい記憶が鮮やかに胸の底から湧きあがる。だが冷え切った心はその身体に涙を流させることはしなかった。
その代わりに、ただただ悔しさが込み上げてくる。穏やかな日常、その裏に隠れたSD体制。消えゆく同胞。
膝の上に腕を組み、ジョミーは顔を埋めた。やさしいと思っていた風がしらじらしくジョミーの頬をなでていく。
ぐっと奥歯を噛み締める。
「……大丈夫かい? 気分でも悪い?」
頭上からの声に身体がビクリと震えた。
聞きなれたものよりわずかに高い声だ。だが、確かにそれはブルーのものに違いない。
すこし違和感を感じるのは、偉そうにも聞こえる言葉遣いが300年を遡っても同様だからだろうか。
ジョミーはわずかに頬を緩ませ、同時に覚悟を決めて不自然なほどゆったりと顔を上げた。見たい会いたいと思うほどにためらいと戸惑いが込み上げ、混じる。
「…あ……」
思わず喉から声が漏れる。
いつかの日にブルーから引き継いだ鮮烈な記憶にいた幼いブルー。その姿より幼い印象のブルーがそこにいた。丸みを帯びほんのりと赤く染まった頬がその要因だろうか。
「大丈夫? お兄さん」
顔をあげたまま固まったジョミーにブルーは顔を近付けた。光を背に浴びた彼にはジョミーの顔色があまり良く見えないのだろう。
逢えて、良かった……。
幸せに満ちた中での幼い仕草にジョミーはわずか頬をゆるませ、努めてゆっくりと言葉を口にする。
「ごめんね、大丈夫だよ。ありがとう」
そして立ち上がる。彼へ背を向け、その場から去る。これで邂逅は終わりだ。
それだけでいい、それだけで。ジョミーは心中でそう自分へと言い含めながら、それを実行した。
ちらりと最後に盗み見たブルーはすこし間の抜けた顔をしてジョミーを見上げていた。
そうか、ぼくのほうが背が高いんだ。
自分の姿など気にしてもいなかったジョミーは自らの手のひらを見つめた。17・8歳の姿で成長を止めたが、この手は31歳のものだ。仲間を守るためとはいえ、幾多の戦闘で、言葉で、力で人を殺してきた。
三世紀を生きたソルジャ−・ブルーは自身の手をどう感じていたのだろうか。
類似した言葉で問うたびに、彼は苦く笑うばかりで明確な言葉を聞いたことはない。
ブルー……。
思慕が募る。ジョミーは見つめていた、掌を痛むほどにぎゅうと握った。
だが突然、その手が背後から捕らえられる。
「……待って! 待ってよっ」
その声にビクリと身体が奮えた。ブルーのこんな慌てた声は聞いたことがない。
「待って…!」
ジョミーの手を掴んだブルーはもう一度叫んで、ジョミーの片腕へ蔦のように抱きついた。
「ブ、ルー……」
思わず知るはずのない彼の名をジョミーは呟く。
だが、そんな言葉も耳に入らないのかブルーはぎゅっとジョミーの腕にその細い両腕を絡めた。
「『待って』って、いってるのに!」
柔らかな頬を風船葛のように膨らませ、はあ、と大きな息を吐き出す。
振り替えれば先ほどまでいたベンチは小指の爪ほどの小ささに見えた。この距離をジョミーは彼の声を無視しながら歩いてきたらしい。
「ご、ごめん……」
「本当だよ。もう」
言いながらブルーは腕を捕ったままジョミーの前面へ回り込んだ。そして下からジョミーの顔を覗き込む。
「なんだ。別に顔色は悪くないんだね」
なんか、くたびれたシャツみたいな顔だけど。ブルーはそう付け加えて笑った。
「くたびれたシャツって……」
「パパのシャツをさ、日曜日にまとめて洗うんだ。仕舞ってるのも全部。きれいに洗って、暖かい太陽に照らされて、気持ちいいそよ風に吹かれても、その揺れ方がなんとなくぎこちないんだよ。そんな感じかな」
それは自分の実年齢を言い当てているのだろうか。ジョミーは微妙な相槌をブルーへ返す。だが、ブルーはそんなジョミーの反応すら気にする様子もなく、「ねぇ」とジョミーの腕を引っ張った。
「『大丈夫』なら、ぼくに付き合ってよ。暇なんでしょう?」
薄い空色の瞳を煌めかせてブルーは「ね、いいよね」と、もうジョミーが付き合うことを前提に微笑んだ。この辺りの強引さも、ジョミーの知るブルーと同様だ。
ジョミーは苦く笑み、仕様がないね、と自嘲気味に呟いた。それをブルーは耳ざとく捉え、きゅっとジョミーの腕を握り締めた。
「じゃあ、とくべつにぼくの宝物見せてあげるよ」
そう言ってニコニコと腕を引くブルーにジョミーはただ黙ってついて行く。見渡せば、穏やかな空気が満ちている。育英都市でジョミーのような年齢の人間は珍しいはずなのに、誰も警戒心など欠片も持たずジョミーの姿すら穏やかな日常の景色へと取り込んでいる。
不思議だ。ここはやさしい……。
絡まった腕の先で、ブルーがジョミーの掌に指を絡めた。幼さの残る体温、細身だが肉のついた柔軟な感触にソルジャー・シンの空虚なこころがわずかに綻ぶのをジョミーは感じた。