「ソルジャーがお呼びです」
その一言きりでジョミーは青の間へと押し込まれた。
アルテメシア衛星上より帰還して以来、自室での半謹慎状態を強いられていたジョミーへとミュウの長ソルジャー・ブルーの言葉を伝えたのはハーレイだった。
彼は夜半、多くのミュウたちが寝静まった頃合いを見計らってリオを伴いジョミーの部屋を訪れた。
そのときのジョミーはといえば、時間を持て余して戯れに教授から与えられた課題をこなしつつ、にわかに睡魔の訪れを感じ始めており、その問答無用とばかりの急襲に文句一つも口にはできなかった。
もとよりハーレイは心身薄弱なミュウにおいてひときわ大きな体格を持ち合わせており、アタラクシアの学校でもどちらかといえば小柄なジョミーでは油断がなくとも抵抗はできなかっただろう。
そして易々とジョミーを部屋から引きずり出したハーレイは、ジョミーの発言を許さぬままに自分の役目は終えたとあっさり本来の務めへ戻って行ってしまった。
その後はいまだ艦内の地理に疎いジョミーをリオが青の間まで案内してくれたのだが、ジョミーが自らを呼び出したというソルジャーの用件を幾度訊ねても、彼はただ額に眉を寄せて「知らない」、「聞いていない」としか答えなかった。そして最後には「お会いになればわかることです」と、やわらかく笑ってジョミーを半ば強制的に青の間へと押し込んだのだ。
ああいった、誰に対しても、どんな状況でも、自身の感情や表情を統御している人間こそがもっとも手強いのだと、わずか十四年の経験ながらジョミーも知っている。
ジョミーとしてはおもしろくない状況だ。だが、目覚めの日を境にジョミーを取り巻く環境は一変し、そのほぼすべてが「おもしろくないこと」ばかりだ。そのためにいまでは、おもしろいこととおもしろくないことの境目すらよくわからなくなってしまった。
かつてのジョミーであれば、人の思い通りになることなど決して許せず暴言や悪態の一つもついておかしくなかっただろうと自分でも思う。だが、どうしてもそうする気にはなれない。
その代わりにジョミーは息苦しさを誤魔化すように小さなため息を吐いた。
そして入り口で立ち止まったまま、しんと静まり返った室内をぐるりと天から地へ、背面から正面へと視線をゆっくりと巡らせる。
背後にジョミーを押し込めたリオがいるはずの通路への扉は無かった。そこには暗闇だけが存在し、あるはずの壁も見えない。ミュウの母艦シャングリラにおいて「扉」というのは形式的なものだ。扉があろうとなかろうと思念という人の存在そのものを読む彼らにとって、扉や壁といった空間だけを仕切るものに大した意味はないのだろう。
反して、唯一彼らを阻むのは扉も壁もない状態だ。
青の間はミュウの母艦シャングリラのもっとも重要な場所のひとつとして厳重な警護下におかれ、ただ思念の寄るところで許したものを受け入れ、招かれざる者を拒むのだ。
ひゅっ、とねじり曲げたジョミーの背をどこからか流れ出でた冷ややかな空気が撫でる。まるでそれは入り口でもたもたするジョミーを咎めるようにその身体を震わせ、ジョミーはゆっくりと正面を向き直った。
視線の先には宇宙に似た果ての見えない闇と、周囲に仄かな灯りを燈し天空回廊のごとくするりと伸びた通路。その最奥にはジョミーを呼び出したソルジャー・ブルーがいるはずだ。
なん、なんだよ……。向かうあてのないわずかな不安を苛立ちで紛らわし、ジョミーはぐっと脚に力を籠めた。
そして大股に最奥へと一歩を踏みだす。みぎ、ひだり、みぎ、そしてまたひだり、と歩を進める度に水面へ落ちる小雨のような音とはならない音がジョミーの周囲へと広がっていく。
なぜヒトの脚は、みぎ、か、ひだり、この二つしかないのだろうと、理由なく疑問符が浮かんだ。そういえば人類の突然変異体たるミュウの脚も、みぎ、か、ひだり、の二つしかない。いっそ変異するならば四肢以外のなにかが身体から生えてきてもよかったのではないだろうか。角や牙でもあったほうがきっと恐怖を煽るだろう。
そしてジョミーが大昔の奇怪童話を思い出そうとした瞬間、カタン、とジョミーの周囲とは違うどこからか音が響いた。
なんだろう? いつのまにか自らの足もとへ落としていた視線をジョミーは音の聞こえた方向へと向けた。その先には青の間の最奥である円形の天蓋に囲まれたベッドを捉えることができる。
あそこ、しかないよな……。ジョミーはいまは閉じられた天蓋から漏れた隙間光を魅入られたようにぼんやりと見つめた。
部屋を包み込む仄かな灯りとは異なる強烈な光源が片腕ほど開かれた隙間から裾野を広げるように煌々と伸びている。それが、まるで内側にいる彼に似たイメージをジョミーに抱かせた。
だが彼を思い起こして、ジョミーは身体を強ばらせる。そこに居るのはジョミーのせいで傷を負った、「もうすぐ燃え尽きる」はずの人物なのだ。
焦りが身体に満ち溢れ、ジョミーは爪先へと力を籠めて背中をぴんと伸ばした。そして若々しくバネのある跳躍で地を蹴る。
通路の両脇に転々と灯る青白い光源へと近づく度、くるくるとジョミーの足もとを影が一周した。軽い呼吸が唇を行き来し、より強い光源へ近づくにつれてジョミーの陰影はその存在を薄めていった。
そして自らの影が完全に吸い込まれた場所でジョミーは脚を止め、跳躍を止めた。自らの内へと飛び込んだ侵入者に天蓋が深呼吸するかのようにカーテンを舞い上げる。同時にジョミーの唇からも熱い吐息が通り抜けた。
爪先にはページが折れたままうつ伏せた本が一冊。
ああ、これが音の原因か……。
小走りだったときよりも立ち止まった今のほうが鼓動の速さが機敏に感じられた。それをなんとか落ち着かせつつ、ジョミーは視線をゆっくりと持ち上げる。
すると自然と怪訝に眉が額へと寄り、皺を刻んだ。
本と床に噛まれた清潔なシーツはその身をぴんと張り詰めて傾斜のきついスロープを作り、その根元を辿れば本を抱えていたはずの細く血管の浮き出るような白い手がくしゃりとシーツを掴み幾重もの筋の源となっていた。
相手は「もうすぐ燃え尽きる」はずのミュウの長、ソルジャー・ブルーだ。本来ならば心配をするところである。ジョミーはそれを理解しながら、さらに深く眉間へ皺を寄せた。
「なん、だよ……?」
ジョミーが言葉を発すると同時に、本を抱えていたはずの手が「もうすぐ燃え尽きる」はずの腹を抱えた。そしてシーツに代わり腹部の服に皺が寄り集まる。
「相変わらず、きみの思念と、思考は、破天荒だね」
笑いに言葉を躓かせながらブルーは伏せていた顔を片眼だけジョミーへと向けた。弓のように曲がった紅玉の瞳がわずかに潤みを帯びてぬるりとした光でジョミーの微妙な表情を映しだす。
「きみの思念を辿っていたハーレイがブリッジで足を踏み外したよ。ゼルは通路で曲がり損ねて壁に激突、エラは手もとのカップを取り落としていた。残念ながら教授とリオはにこりと笑っておしまいだったが、ブラウはきみの思念とハーレイたちの反応振りにまだ大笑いしているよ」
そしてぼくもね、とブルーは付け加えて最後のひと笑いとばかりに瞳を伏せる。
声はなんとか殺しているが、礼儀だの思いやりだのを排除すればジョミーを指差して笑いかねない様子だ。
「きみはぼくに角があったほうがよかったのかい? それとも尻尾? 牙も、そう、かっこいいかもしれないな」
「ぼ、くは……別に」
ただの想像だし、とジョミーは口の内側で呟いた。
笑われたというのに怒りは感じない。不快感でもない。怪訝から刻まれた額の皺も、いまでは困惑によるものへと変化していた。
ソルジャー・ブルーという人とははじめて出逢ったときからジョミーにはどうしてもその意図の先が読めず、コミュニケーションとしての調子が計れない。
はじめの邂逅では自らの望みを主張することで粉砕したが、二人きりの会話となってはジョミーにもう逃げ場は無い。
これにどう反応しろっていうんだ……? その気持ちに伴ってジョミーの身体が自然と半歩後ろへと下がる。
その様子を見てとり、ブルーは笑みを微笑に変えてその顔をジョミーへと向けた。
「気持ち悪いかい? ジョミー」
「……そんな、ことは」
気持ち悪くはない。ただ居づらい。だがそれをそのまま言葉にする訳にもいかない。
もやもやとした気持ちがジョミーの視線をブルーから外させベッドの裾を彷徨う。
「そうか。ならばもっとこちらにおいで、ジョミー」
言葉とともにブルーの布に包まれた手がジョミーの手首へとするりと絡んだ。
やはり逃がしてはくれないらしい。ジョミーはため息の代わりに一度瞳を閉じ、なるべくブルーへ視線を流さないよう気を張りながらゆっくりと身体をベッドへ寄せた。
「そう。もっと、もっとこっちだ」
ベッドに長座したままブルーはジョミーの手首を引いた。その指には大して力が入っていないにも拘らず、その柵がジョミーには強く、重く感じられた。
そしてブルーの希望のままジョミーが移動すると、彼は両手でジョミーの手を包み込んだ。すこしごわついた布の感触が手の甲を引っ掻くように撫でる。
「おかえり、ジョミー。そして、ようこそシャングリラへ。ぼくらミュウのもとへ」
ぎゅう、と手が握り締められる。そして同時に、ぽっと手もとが暖かくなった。
その突然の熱にジョミーは驚きの表情をブルーへと向けた。するとまるで熱がそこから発生しているかのようにあたたかな笑みにぶつかり、思わずジョミーの頬もがカッと熱くなる。
「あたたかいだろう。この船の、きみを歓迎する思念を集めたんだ。いまだ困惑も多く、このカーテンの内ではわずかしか届かないが」
「ぼくを歓迎する…? カーテンの内側?」
ジョミーはオウムのようにブルーの言葉を繰り返し、赤みの引かない顔を疑問に傾げた。
そうだよ、とブルーはひときわ嬉しげに笑みをこぼし、ジョミーの手から片手を離す。
だが手を離したにも拘らずジョミーの手を包み込む熱は変化しない。その温度は確かに物質的なものではないのだとジョミーにはやっと明確に感じ取れた。
これが、思念の熱……。
「艦の最深部であるこの部屋まで届く思念はわずかだ。しかもこのベッドを取り囲むカーテンは思念を通さぬ特注品でね。そのわずかな思念をも弾いてしまう」
ブルーの説明に合わせて指先が波を描き、それに合わせて触れてもいない天蓋のカーテンがゆらゆらと弛む。
残念だがね。ブルーはそういって、手をシーツへと落とした。
「いまはぼくが力を貸し、きみの入ってきたあの隙間から思念を集めている」
「どうしてそんなことを……」
ジョミーがさらに首を傾ぐとブルーはすっとジョミーから手を離した。その顔を盗み見れば興奮に潤んでいた瞳はそのままに高揚した頬がじっとりと汗にぬれていた。
ジョミーははっとして、ここにきてやっとブルーを直視した。
汗にぬれ高揚した頬。すっと伸びる細い顎。服の首もとは緩められ、蒼白に見える露出した鎖骨の下には巻き付けられた包帯がわずかに見えた。
「それはカーテンについて? それとも思念を集めたことについてかい?」
「どっちも」
いちばんの疑問はなぜブルーがこれほどジョミーに固執するかということであったが、敢えてそれは口にしなかった。
しかしブルーはそれすら汲み取ったように薄い笑みをジョミーへと返す。そしてぽつりとジョミーへ問いをかけた。
「ジョミー、きみは人が生を終えるときになにを考えると思う?」
「え……?」
考えたこともない問いにジョミーは言葉を失う。だがもとより答えを得る気がなかったのか、ブルーはジョミーを待たずに言葉を続けた。
「その答えはぼくにもわからない。三世紀に渡り生き、生を全うした自負がある。この生にしがみつく気など毛頭ない。それでも死に際して自身がどのような想いを抱くのかは見当もつかない」
もしかしたら、とブルーは言葉とともに口元へと骨の浮き出た細い手をあてがう。
「その際になって抗うかもしれない。なりふりなど構わずに思念を爆発させて」
「……ソルジャー・ブルー」
「かもしれない、というだけのことだ。幾人もの同胞を見送ってきたが、眠るように逝った者がほとんどだ」
ほとんど、ということは例外もいたのだろうか。
ジョミーがわずかに目を伏せると、ブルーはちいさく頷いた。
「命の燈とともに思念の力も弱まればいいのだが、どうやらそうともいいきれない。火事場の馬鹿力ともいうだろう」
わかるね、という言葉に代わり、ブルーの紅い双眼が上目遣いにジョミーを見上げた。
なにかあってからでは遅いのだ。例えばミュウでもっとも力の強い長が死に際にその苦しみを解放したなら、心身の弱いミュウたちにどのような影響が出るとも限らない。
死に際の思念など、決して他人へ伝えてはいけないものなのだ。
ジョミーは予想された惨状にぐっと顎を引いた。背後のカーテンがゆらりと波打ち、ジョミーはびくりと背筋を震わせる。
思いだけで人を殺せるということは、憎むべき敵だけではなく愛する者をも一時の衝動で傷つけかねない鋭利なちからなのだ。
そしてそれが日常的なものにまで浸透していればしているだけ、彼らはこれまでその危ういちからに恐怖し、意識し続けてきたということになる。
ぼくも、もしかしたら……。自らの内に宿るちからを噛み締め、ジョミーはごくりと喉を鳴らした。
「そう緊張することはないよ、ジョミー」
ジョミーの固い表情をみてとったのか、頬にやわらかな笑みを湛えたブルーは、いつのまにか固く握り締められたジョミーの拳へ手を添える。
「きみには利もある。このカーテンの内にいれば誰もきみの思念を盗み読み、監視することはできないだろう」
ぼく以外には、だが。少年のようにいたずらっぽくブルーは笑いかけ、軽く首をかしげてジョミーにも笑みを促した。
だがジョミーの顔は手と同様に固く強ばり、うまく笑みを返すことはできなかった。
笑みから逃げ、その顔を隠すようにジョミーは視線を足下へと落とすと、先にはフットボールによってしなやかに筋肉のついた二本の脚が気弱げに並んでいた。
「ジョミー」
ブルーはちいさく息を吐きおだやかに言葉の糸を紡いだ。
「いっそ角や牙、尻尾のある奇怪な姿であれば」
ブルーは両の手でジョミーの拳をやさしくゆっくりと持ち上げる。
「あるいは人類とは異なる別種として、彼らもぼくらの存在を認めてくれていたかもしれない」
そして絡まった糸をほどくようにジョミーの指に一本いっぽん触れ、その強ばりから解放していく。
食い込んだ爪の痕が露わになるにつれて、ジョミーの掌はふたたび温かさに包まれた。
自然、ほぅ、と唇から吐息が滑り落ちる。
「まあ、おそらくはアルタミラでの実験例と大差なく扱われただろうが」
ブルーは唇の端を持ち上げて苦く笑い、「だが、ジョミー」と声音を落とさず続けた。
「我々は人類から生まれた。ただすこし感覚が鋭いだけの、彼らと同種の人間なのだ。それだけは忘れてはいけない」
紅く爪痕の残ったジョミーの手にブルーは自身のそれを合わせる。
想いを沁みこませるように指と指を絡ませ、手の甲に指先が食い込むとわずかに指が反った。
「忘れては、いけないよ」
ブルーは繰り返し、手もとにあった瞳をジョミーへと向けた。ジョミーも正面からその眼差しへと向き合う。
紅い双眸が麻酔針のように痛みもなくジョミーの内側へと彼の想いを浸透させていった。
ジョミーはいまだ、思念を読み取り、感じることはできなかった。だが、その眼、その言葉だけでソルジャー・ブルーというひとの「想い」の強さが感じられた。
永くながく痛みに耐え、深いふかい慈愛を持ったソルジャー・ブルー。ジョミーはその想いに応えようと、できるだけの強い気持ちを籠めた瞳を彼へと向けた。
「うん。わかってる。わかってるよ、ソルジャー」
ジョミーがそういうと、射るようだった瞳の眦がゆるみ弧を描く。
「ありがとう、ジョミー。きみが我々のことを理解しようと努めてくれて嬉しい。それだけが気がかりだった」
うれしいよ、とためた吐息とともに小さく呟き、ブルーはゆったりと身体をベッドへと沈めた。
そしてブルーはどこを見るでもなく、ぼんやりと視線を前方へと送った。
なにかを思い返しているのだろうか、そう思えるような仕草にジョミーはブルーを追って身を乗り出し、その顔を覗き込む。
手もとでやわらかなベッドがジョミーの重さをすいこみ、ぐっと姿勢を下げる。
「きみはいい子だね。ジョミー」
いいながらブルーはゆっくりと瞼を閉じた。
「ほんとうに、いい子だ……」
銀髪の合間から頬へと汗が伝い、首筋へと消えていく。ブルーは包帯の巻かれた胸を上下させる大きな呼吸をいちど、にど、と繰り返した。
ジョミーはそれを黙ったままじっと見つめ、彼が言葉を発するのを待った。次に伝えられることはきっと大切なことだ。そう確信があった。
「ジョミー」
まるですべての惨劇を映しとってしまったかのような色の瞳が光を受け入れる。
知らず溜まった唾液でジョミーはごくりと喉を鳴らした。
「愛しているよ」
場違いすぎる告白にジョミーは目を見張った。先ほどとは異なる熱さが頭部を突き抜ける。
しかし、ブルーの視線は宙に浮かんだままジョミーへは向かわなかった。
代わりに猫のように丸めていたジョミーの手へブルーの手が重ねられる。だがその手は言葉の熱が一瞬にして冷めるほどに青白く、華奢だった。
「だからこそ、問わなければ」
くしゃりと悲痛に歪んだ顔が今度こそジョミーへと向けられる。
「ジョミー。ぼくのあとを継ぎ、皆をまとめ、地球へと我々の想いを伝えて――」
ブルーは言葉を途中にすこし迷った末、もう一度いいなおした。
「伝えて、欲しい」
そしてわずかに頭を下げる。それは懇願のためというより、羞恥のあまり顔を伏せたといった感じだった。
一瞬のうちに体温の加熱と冷却をした心臓がどくどくと波打っていた。ざわざわと感情がざわめきとともに粟立ち、「やめてくれ」と叫びたくなった。
「……拒否権なんか、ないくせに」
「…………」
ブルーはなにも言わない。きゅっと重ねられた手に力が篭もる。ぎりりとブルーが歯を噛み締める音が聞こえるようだった。
そう。彼は自らがジョミーをどのように追い込んだかを充分に知っている。
ジョミーの性格、行動パターンといったすべてを熟知し、策をめぐらせ、巧妙にジョミーを拒否できないところまでミュウに近づけた。
親を知らない子どもたち、自らの辛い過去、それがジョミーにどのような感情を抱かせるか、彼はわかった上でやってきたのだ。
だというのに、彼はそうしてジョミーを追い込んだ自分を恥じている。それすらジョミーに拒否権を奪うことを知っていながら、ジョミーへ感情を顕わにしてくる。
卑怯だ……! ジョミーは詰まるような感情に自らの胸元の服を握り締めた。
「やるよ。やるさ。ちゃんとやってみせる。ぼくの意志で、ぼくの力で、みんなを守る」
口にしながら、昂ぶりすぎた感情に瞳から涙があふれた。糊の利いた真白なシーツへ、ぽつりと音を立てて灰色の染みが広がった。
濡れた瞳をジョミーは乱雑に袖で拭い、くるりとブルーへ背中を向けた。床へ腰を落とし、丸めた背中をベッドの縁へと預ける。
「……すまない」
「謝ることなんかない。これはぼくの意志だから」
つんと痛む鼻をすすり、ジョミーは折った膝へ顔を埋めた。
その肩に薄いぬくもりが触れる。ブルーの手であろうそれは肩から指先で鎖骨をなぞり、首筋を抜けて肩甲骨の辺りをゆっくりと撫でた。
まるでジョミーの大きさを確かめるかのようなその動きに合わせ、薄かったぬくもりは徐々に熱を得てジョミーの身体をあたためた。
ジョミーはほっと嗚咽の代わりに熱いため息を吐き出した。胸に詰まっていたさまざまな感情が沸騰をやめ、すっと静まっていくのがわかった。
するとそれを確認してか布の擦れる音がし、背後から肩を抱きしめられる。
「ジョミー、愛しているよ。ずっときみに逢えるときを待ちこがれていた」
「これはぼくの」とブルーは続け、ジョミーのこめかみへ唇をふれる。
「ぼくの、ジョミー・マーキス・シン、きみへの歓迎の熱だ。ソルジャーとしてではないぼくの。後継者としてではないきみへの」
膝を抱える腕に沿うようにブルーの腕が伸び、全身がブルーに包まれた。
背中には板とはいえない骨張った胸が触れ、肩には顔が埋められる。首筋に補聴器のひんやりとした金属が触れ、自らの体温の高さを異様に認識させられた。
ふれたすべての場所から熱を介して想いが伝わってくるようだった。言葉では予測のつかなかった彼の想いがなんとはなしに理解できるような気がした。
養父や養母に抱きしめられれば照れのあまり振り払っていたが、彼にはなぜだかそうする気にはなれなかった。
ジョミーは肩に埋もれたブルーの頭部にごつりと自らの頭部を触れさせ、彼の腕を巻き込んで膝を抱えなおした。
「がんばるから。ソルジャー、もう、いいよ」
ジョミーがそういうと、肩に埋まったブルーの顔がもぞもぞと動き、唇が「ありがとう」を描いた。
だがその音は布に吸い込まれ、吐きだされた熱だけがジョミーへと伝わった。