Aurora : no.01

「わたしが行こう」

 穏やかな声に続いて、ベッドがナキネズミのような掠れ声をあげた。高く積みあげた枕に預けていた背中をゆっくりと持ち上げて小さく吐息し、
「さて、まずは」
 と、思案する間を取る。
 まるで、お茶でも淹れようかとでもいうような然り気ない発言。さらには、すぐさま腰を浮かせた彼の行動に、周囲は動揺を隠さずどよめいた。だが、その反応はみな様々であった。ある者は驚きに息を飲み、ある者は予想通りと笑い、ある者は悩ましげに痛む胃を押さえている。
 さもそれを楽しむようにブルーは唇の端に皺を寄せた。だが、その行動を留まらせはしない。おもむろに、ざわざわと漣のような音を立てて糊の効いた上掛けのシーツを捲り上げると、純白の上掛けから取り出した足先を地へ向ける。

「いまの貴方にそのようなことを……」

 いざベッドを立とうというブルーに、エラ女史は慌てて両手を持ち上げた。
 しかし、その両の手は狼狽し、ゆらゆらと宙を彷徨うばかりでブルーを制止させることはない。長老たちの中でもとくにソルジャー・ブルーを敬愛して止まない彼女にとっては、自らの手でブルーに触れ、その上でベッドへ押し戻すことなど、到底実行などできないおこがましい行為なのだろう。そうしてソルジャーとしての権威を利用した傍若無人ぶりを制止せず、易々と許してきたからこそ、ブルーはこのような自我を突き通すことに抵抗を感じない、我が儘ソルジャーとなってしまったのだ。
 ――いや違う。ジョミーは脇へ垂れた自らの右手を握りしめた。抵抗を感じないのではない。抵抗を感じないふりをしているだけだ。すべての責と溜め息を自らへと負わせるために。
 だが、ジョミーにはできる。自らの手でブルーに触れ、ベッドへと押し戻すことなど、気にも留めぬ日常だ。その上なんといっても、ジョミーは生まれてたった十四年という若々しい肉体を持っている。アタラクシアで同年代の友人たちに比べてすら、その活発さは群を抜き。あまりの活溌溌地さに、養母がたびたび教師から苦言を呈されていたほどである。
 意図に反して思い出された養父母との穏やかな生活に、ジョミーの心臓が小鳥のようにきゅっと縮こまった。その穏やかさの影にどのような罪と不幸を積み重ねてきたのか。今やそれを知りながら、それでもジョミーはあの幸せなときを愛しく愛おしく思い出してしまう。どんなに現在の状況、環境を理解し、同胞たちに愛しさすら憶えても、きっと懐郷の念は消え去ることはないのだろう。それはおそらくはブルーの地球への想いにも通じる。その背に罪を負い、胸に抱き続けていかねばならない想いなのだ。
 とにかく。ジョミーは自然と胸を指していた顎を上げ、切なくなった感情を上向きに切り替える。
 その溢れんばかりに充ち満ちた、おもいきりの力をもってすれば齢三百年というミュウの長、ソルジャー・ブルーといえど思念の力を利用しないでは太刀打ちできない。
 しかし、そんなジョミーを阻むのもまた、ブルーの無茶を知りながら押し留める術を持たない長老たちだろう。もし、この場でジョミーがブルーを力いっぱい押し戻そうものなら、怒鳴られ、叱咤されて、大量の訓練と課題を言い渡された上に、この青の間を追い出されてしまうはずだ。そして、しばらくは針で刺すようにチクチクと、或いはサボテンの棘のようにあからさまに刺々しく、嫌味と当て擦りに塗れた日々を過ごさねばならない。当然ながら青の間への出入りは禁止だ。
 そんな具体的な予想がつくのは、ついこの会議が始まるまで、実際にジョミーが青の間への出入りを禁じられていた為だ。
 ジョミーの口を思わず呆れたため息が滑り出る。同時に、ほんのすこしの優越感と幸福感が湧き出で、頬が熱くなった。
 ひさしぶりの、ソルジャーだ……。
 言葉にして脳裏に思い描けば、頬から熱が伝わったのか瞳までが熱くなる。
 まるでブルーの仕草の一つひとつ、そのすべてを記憶しようとするかのように、ジョミーは長老たちの肩越しにじっとブルーに視線を留まらせる。

「この程度のこと、大したことではない」

 ずるりと布の擦れる音をたて、ブルーは身体を傾げた。前髪が顔に垂れベッドを囲む煌々とした光をまろみ落とし、ブルーの顔を薄闇で覆い隠す。あの髪は触れれば固く、ごわついていることを、ジョミーは知っている。

「ですが、ソルジャー・ブルー……」

 縋るような瞳をしたエラ女史が彼の名を呼ぶ。
 だが、ブルーはその声にすぐさま答えようとはせず、これから立ち上がる場所を確かめるように足もとへと視線を落とす。その唇の端が「仕方がないな」とでも言いたげに苦く持ち上がったのをジョミーは見逃さなかった。
 ブルーの肩がわずかに上下し、ゆっくりと吐き出された息が垂れた銀髪をさわさわと揺らす。その影からブルーはちらりとエラ女史に視線を流し、長老たちの端に立つ彼女の姿を上目遣いに無言のまま見上げた。その視線はやさしくも穏やかでも、反対に厳しいものでもなかった。ただ、堅く閉じられた宝箱から鍵穴を探すような、向けられた者はまるで観察でもされているかのように感じる視線だ。
 ブルーの悪い癖の一つだろう。たびたび同じような視線を向けられているジョミーにはわかる。あの視線を向けられた者はその瞳に意味を見出せずに、自らの予想した悪い結果を思い起こして、ただ身体を竦ませるしかできなくなってしまうのだ。だが一方のブルーには、一切の思惑も悪意もなく、ただテストの問題文を読むように「さて、困った」「どうしようか」と相手を見つめているだけなのだから、物事はややこしくなるばかりだ。
 そしてジョミーの予想通りに、ブルーの紅い視線に気づいたエラ女史は余計な口出しを咎められるとでも思ったのだろう、まるで少女のようにびくりと身体を震わせて唇を引き結んだ。宙に置き去りにされていた両手を引き戻し、唇と同じく胸の前でぎゅっと組み合わせる。
 こつりと踵が再び硬い音を鳴らし、ブルーはその身体が弱っていることなど微塵も感じさせない身のこなしで、颯爽と立ち上がった。すっと伸びた背筋から、薄紫色のマントが滑り落ち、撓んだ裾が床に波紋を広げる。神経質にも、ブルーは皺がないことを確認するかのように掌でその表面を撫で、最後にふわりと舞い上げた。ふう、と吐かれた小さな吐息が、異様な緊張感をもった空間へ溶け込んでいく。ブルーは視線をあげ、その場にいたすべての双眸を見つめ返した。
 エラ女史を含めて、主要な長老たちがブルーを囲むように見つめていた。ミュウの母艦シャングリラを指揮するキャプテン、ハーレイ。機関長を任されたゼル。艦の行く先を見極める航海長ブラウ。エラ女史と同じく知識を深め、それを伝達するヒルマン教授。そして盲いた瞳で懸命にソルジャー・ブルーの姿を追う、占者フィシス。
 そのフィシスのとなりで、ジョミーはもやもやと蹲るわずかな疎外感を胸に、ブルーを見つめた。
 ブルーはその個体に宿る思いを読み取るように、ひとつひとつの双眸に視線を留めていった。鮮やかな真紅の瞳が移動するたび、波のように揺れた軌跡が網膜に焼き付いていく。
 ごくりとジョミーは喉を鳴らした。人列の最後に、ブルーがジョミーを見留めたのだ。
 ブルーはジョミーの視線をやわく受けとめると、じわりと皺を寄せて目尻を下げる。だが、ジョミーが胸を高鳴らせるよりも先に、視線はするりジョミーから離れていってしまった。
 そんなジョミーのわずかな落胆には気づかないまま、赤い双眸の行き先はいま一度エラ女史であった。
 エラ女史の唇はいまや紫がかり、握りこんだ手に指を食い込ませている。それをブルーも見留めてか、彼はやれやれと言うように一旦顎を引くと、ベッド際で見せた苦笑をこんどは公にして見せた。

「心配は無用だ。滞りなくすべて済むだろう。ジョミーも連れていくのだからね」

 ぼく? ジョミーが身体をびくりと震わせるのと同時に、ブルーを向いていたはずの視線がまるで矢のようにジョミーへとつき刺さる。
 渓谷のようにジョミーとブルーの間が拓け、連なる長老の目が矢から伸びた尾羽のようにジョミーの全身に纏わりついた。となりにいたフィシスですら、半歩退いてジョミーのことを頬を強張らせて覗き込んでいる。
 だが彼女の視線は驚きというよりもジョミーへの心配からのものであろう。ジョミーがソルジャー・ブルーのわがままに度々振り回されていることをフィシスはよく知っている。

「当然だろう。ジョミーはわたしの後継者なのだから」

 ジョミーへ突き刺さる矢などまったく気づかないように、ブルーは渓谷の反対側で悠々と言ってのけた。おそらくは場を穏やかにしようとしてのことなのだろう。その口調は努めてやさしく、頬はやわらかに持ち上がっている。
 だが彼の意図に反して、ジョミーに纏わりついていた視線の幾つかには憎悪にも似た澱みが含まれ、ぎりぎりとジョミーの身体を圧迫してきた。わずかに息苦しさすら感じられ、それを払拭するようにジョミーはごくりと喉を鳴らして唾液を飲み込んだ。

「ソルジャー・ブルー」

 緊張感の高まりに応じて、促されたようにハーレイが口を挟んだ。
 だが、ブルーは右手を軽く挙げてそれを制し、拓かれた渓谷へとゆっくり爪先を向ける。地に落ちていたマントが風を孕み、空へふわりと舞いあがった。

「ソルジャーとしての役目と技術を直接しっかりと伝えておかなければ。思念で伝えられるのは情報だけだ。現場での臨機応変な行動と対応は実際に行ってみなければ学べないだろう」

 ゆくゆくは皆のため、ジョミーを信頼してわたし自身が休むためだ。ブルーはそう付け加え、渓谷を渡り終えた。
 立ち止まったブルーの肩から流れ落ちたマントの裾が、ジョミーの左の爪先に触れて撓んでいた。
 そっと瞳の端を使って、ジョミーはその顔を上目遣いに覗き見る。
 熱い。火傷するかと思えるほどの熱を含んだ真紅の瞳とジョミーの深緑の瞳がかち合う。咄嗟にジョミーは視線を背けた。だが、長老たちの絞めつける視線に血の気の引いていた頬が、伝導率の高い金属のように、瞬時にカッと熱くなってしまう。
 ジョミーは堪えるように、ぐっと握り締めた拳にさらに力を籠めた。

「ジョミー……?」

 顔を背けた先で、フィシスが不安気に首を傾げる。同時にやわらかく滑らかな指がするりとジョミーの拳に添えられた。
 ブルーの身勝手な行動を憂えているのだろうか。それとも、ジョミーの乱れた思念を案じているのだろうか。そのどちらにしても、どちらもにしても。フィシスの指先で自らの心を伝え読まれる訳にはいかなかった。こんな揺れっぱなしの気持ちをフィシスに知られるなんて、恥ずかしくてたまらない。
 ジョミーは握り締めていた拳を解き、その手でぎゅっとフィシスの手に指を絡めた。痛みをあたえないよう気をつけながら、「やめて、読まれたくないんだ」という思いを籠めて熱く握り締める。

「フィシス。大丈夫、だよ」

 彼女には見えないというのに、ジョミーは紅潮した顔を隠しながらフィシスを上目遣いに見た。フィシスのふっくらと熟れた桃色の唇が、ジョミー、と音もなく形を辿る。それに微笑みを返して、握り締めた手を離す。そして今度は傍らのブルーを見上げた。彼に顔のほてりを隠すことはしない。
 ブルーの軽い手が肩をやわらかく掴んだ。久しぶりだね、と長老たちには聞こえないほどの微かな声で囁かれ、ジョミーは、くん、と首を縮めて頷きを返した。顎の先が一瞬だけ喉仏に触れ、カチリと奥歯が自らにしか聞こえない小さな音を立てる。

「さあ行くよ、ジョミー」

 ブルーは長老たちにそれが決定事項だと宣言するように朗々と言うと、返事を待たず歩みを再開させた。地に撓んでいたマントが再び裾を広げ、ブルーの細い身体を覆い隠す。その後をジョミーは、残された者に視線を遣らないよう気を張りながら身体を反転させ、追いかけた。

written by ヤマヤコウコ