その腹へと潜り込んでみれば、外観から予想したより遥かに内側は滑稽だった。
機械的な鈍色のままアーチを描く天井。その天井からぶら下がった籠に入った雫型の電灯は、ランプを模しているのだろう。蔓による歪な装飾の合間から緻密な装飾が各所の淵――例えば緊急用ハッチのスイッチや壁面に備えられた通信機器――に人工的に掘り込まれていた。中には後から付け足したのか、人の手によるさらに歪な装飾すらあった。
「彼らは相当暇だったのだろうね。それともよっぽどの物好きが居たのかな」
ブルーはジョミーと繋いだ手をそのままに、もう一方の指先でその装飾を辿りながら、それらを笑った。馬鹿にしているのではない、呆れはしつつも「嫌いじゃないよ」と言わんばかりに楽しげだ。ジョミーもあまりの滑稽さに、まるでテーマパークの一角に入り込んだような、むず痒い好奇心を覚える。
「そういえば、君にまだソルジャーとしての指導をしていなかった」
それが本来の随行目的だというのに、ブルーはまるでそちらがおまけのように言い、おもむろに立ち止まった。
「触れてごらん」
指示されるまま、壁に掌をぺったりと貼り付ける。ジョミーとブルー、そして壁面とで円を描く。
「機械は植物のようなものだ。神経のようにコードを張り巡らせ、電波という思念波を交わす。その思念は人よりもずっと単純だ。その構造さえ理解すれば読み解くのは容易い。指示を与えるのにもさして難しいことはないよ」
いまはぼくが補助しよう。ブルーの付け加えた言葉通り、繋いだ手を通じて解けないほど絡まりあった絹糸のようなイメージが脳裏に流れ込んできた。あまりに複雑なそれに、ジョミーは閉じた瞼にぎゅっと力を籠める。
「怖がることはない。そのすべてを理解する必要はないんだ、ジョミー。問いかけたまえ、『君の名は?』」
『君の名は?』、ジョミーはその糸の隙間へ強引に問いかける。問いかけられた糸は生物のようにびくりと身体を震わせ、そして静々とその身を解き、再び絡める。研究施設S1505・AURORA――アウロラ。
「まずはマザーシステムとの繋がりを確かめる。『アウロラ、君はまだマザーとの繋がりを保っているかい?』」
ブルーの問いかけはジョミーのものよりするりとその糸の隙間に吸い込まれていった。「小川に木の葉を流すようにするのだよ」ジョミーの耳元でブルーが囁きかける。
アウロラは再びその身を組み替え、『ノー』との返答をした。
「繋がっていたら通信の類はすべて断ち切ってしまうんだ。いずれは問答形式でなくとも、自ら情報を手繰れるようになるだろう。それは慣れていくしかない」
ブルーは壁面から手を離し、ジョミーもそれに倣った。ブルーはずっとひとりで、それらの方法を身に付けていったのだろうか。ジョミーのようにこうして教えてくれる者もなく、ソルジャーとして最前線にその身を躍らせて、試行錯誤を繰り返すしかなかったのだろうか。それを思えば、自らのなんと楽なことだろう。だというのに、自分は表面を彩るだけのマントすら重く、身に着けられずにいる。
「それではテストだ。ジョミー」
自らの情けなさに肩を落としかけたジョミーの背中を、とん、とブルーが押した。肩越しに通路の先を指し示す。そこには閉じられた両開きのドアがひとつ、行く手を塞いでいた。
「緊急用のドアコックのおかげで通路のほとんどは防壁が解除されたようだが、あの昇降リフトはロックが掛かったままらしい。開けてみたまえ」
教師のように課題を与えたブルーの表情はひどく楽しげだった。ジョミーができると信じきっているのだろう。その信頼にちゃんと応えられるかどうか。ジョミーはどきどきと鼓動を速めた心臓を胸に、示されたドアへと近づいた。
手始めにまず、外壁と同じく宇宙蔦の張り付いたドアを開放する。思念波でその蔓を刻んでやると、わずかに機能した擬似重力に引かれ、雪のようにゆっくりと欠片が床へと落ちていった。しがらみから開放されたドアにはミュウたちが好んで使う草木のシンボルに似た文様が、やはりその淵を飾っていた。
傍らに目をやると壁には蔓に埋もれた窪みがあった。先ほどと同様に思念波で蔓を刻み、指先で落ちた破片を払いのける。そこにはパスワードを入力するのだろうか、十六に区切られた電子キーと小さなモニターが現れた。だが、そこにエネルギーは回っておらず、いろいろと指先で弄ったところで変化はみられなかった。
これも語りかければいいのだろうか。わずかにびくびくとしながら、ジョミーは電子キーの傍らに指先を触れ、瞼を閉じて意識を集中させた。
『アウロラ、エネルギーを回してほしいんだけど……』
先ほどの強引な問いかけを思い起こし、こんどは弱気に頼んでみた。アウロラから返事はない。だが瞼を開けて手元を見れば、先ほどは暗かったモニターには光が灯り、電子キーは青白い字を浮かび上がらせていた。
次はパスワードだ。ジョミーは浮かび上がった文字を見つめた。四列四行にならんだ文字に統一性は見られない。大文字、小文字のアルファベット、数字、記号。恐らくは必要なもの以外はランダムに表示されるのだろう。
なにを問いかけ頼めばいいのか、ジョミーは迷った。ロックを解除して、と頼めばいいのか。それとも、パスワードを教えてくれ、と頼めばいいのだろうか。
「ジョミー」
ジョミーの動作がしばし止まったことを察してか、通路の反対側に寄りかかっていたブルーが「どうかしたかい?」と首を傾ぐ。ジョミーがそれに不安気な瞳で返すとブルーはくすりと笑みをみせた。
「パスワードのあるロックは機械が解除するものではない。そこには人という存在が必要だ」
言いながら体重を預けていた壁から身体を離し、ブルーはゆっくりとした歩みでジョミーの背後へと近づいた。肩に顎が乗せられ、腹部には腕が回される。ジョミーがそれを甘受すると、ブルーはやってごらんと顎でパスボードを指し示した。
ジョミーは改めてパスボードのモニターと電子キーを見下ろした。こくりと頷き、アウロラに語りかける。
『パスワードを教えてほしいんだ、アウロラ』
瞼の裏でシステムを描く絹糸が金の光を纏う。だが示されたのは文字の羅列ではなかった。
なんだろう、これは。そう思って不意に瞳を開けば簡単に答えは見つかった。瞳に焼きついたかのように、アウロラに示された光の軌跡が電子キーに重なる。一度二度と瞬きを繰り返してみれば、十六の電子キーのうち、幾つかのキーがわずかに他のものより強い光を放っていることに気付いた。ジョミーはごくりと喉を鳴らし、光の導くまま、アウロラに示されたキーを指先で追う。
五つのキーを押し終えると、鋼を擦るような音がした。ロック解除を知らせる完了音だったのだろうが、長い間使用されずにその音を擦れさせてしまったのだろう。
「よくできたね」
寄り添ったままだったブルーが抱いていたジョミーの腰を引き寄せ、ご褒美とばかり身体を密着させて肩に顔を埋める。
「ちょっ、ブルー」
これではご褒美を与えられているがブルーの方だ。ジョミーはその身体を引き剥がそうと腕を浮かせた。だが、ジョミーがそうするより先に、床がゴゥンと重い音を立てて揺れた。音の発生源に視線を向ければ、未だ閉じたままであった昇降リフトのドアの隙間から灰色の靄が漏れだしていた。それを吐き出すように、軽い空気音を発して両壁へドアが吸い込まれる。開かれた内部はすでにエネルギーが行き渡っているのか煌々と明かりが灯り、二人を待ち構えていた。
「迎えが来たようだ」
最後にぎゅっとジョミーの身体を抱きしめ、ブルーはその腕を離した。代わりにジョミーの手をとり、リフトへと足を向ける。牽かれるまま腕がぴんと伸びきり、ジョミーは最後にパスボードへと触れた。『ありがとう』爪の先からたどたどしくシステムへ思念を紛れ込ませる。
そのままジョミーはブルーとともに昇降リフトへと乗り込んだ。