ジョミーたちが乗り込むと、昇降リフトは勝手にするすると上への道を辿った。内部の電燈は、ひさしぶりの仕事だからだろうか、やる気をそのまま煌々と灯す。それらがまた汚れも知らぬ白い壁面に反射して、薄暗さになれたジョミーの双眸を刺した。乗り込んでしばらくはまともに瞳も開けられず、ただ手を繋ぎあったまま、ジョミーとブルーは昇降リフトの中央に立ち尽くす。
だが次第、それにも慣れ、ジョミーはそろそろと揺れ動く壁に手を伸ばした。さらりと布同士が擦れる感触がし、ぺったりと掌を添えてみればその内部が純粋な白ではなく生成り色で包まれているのに気付いた。
「まるで繭だね」
ブルーもジョミーと同じように反対側の壁面に手を伸ばしていた。
くるり視線を巡らせてその形状を確認してみても、上は通路よりさらに尖ったアーチを描き、側面にはゆるやかなカーブを成している。側壁面のカーブは床によって断絶させられていたが、その角度からみてジョミーたちの立つ床の下も天井部と同様の形をしているように思えた。
生成り色の布に包まれた内部はいくぶん温かい感じがした。蛹を守る繭を模しているのだとすれば、それも頷ける。
なんだか、誰かに抱きしめられているみたいだ……。
そう思って傍らのブルーを見ると、ブルーもジョミーのことを見ていた。紅い眼が横長の繭のように歪み、途端、フッと噴き出すようにブルーは笑った。
「なっ、なんだよっ」ジョミーは顔を真っ赤に染め上げて、羞恥を隠し切れずに声を荒げた。
「いや。ぼくも同じことをおもっていたのだよ、ジョミー」
白い頬をわずかに赤らめたブルーは、絡めた二人の手を持ち上げてジョミーの手の甲へと唇を落とした。
「でも、これ以上は仕事を終えてからだ」
言い終えるとちょうど昇降リフトが音もなく停止した。まるで木綿のカーテンが開くように表面が波打ち、スッとドアが開く。拓けた闇にジョミーの足もとから、するりと光の道が伸びていた。
「行こう」
ブルーはジョミーの背を軽く押し出し、彼自身はその脇を通り抜けてさっさと先へ行ってしまう。その後をジョミーはのろのろと付いて行った。なんだよ、とブルーの態度にもやもやが広がる。と、同時にいちいちブルーの言動に振り回される自分自身が情けない。
ジョミーが外へ踏み出すとすぐに背後のドアが閉じられ、光が失われた。光に慣れた瞳で今度は薄闇でも視界が閉ざされる。
突然のことに、足元がおぼつかない。そろそろと慎重に足を進めたが、慎重の甲斐もなく、すぐ足元でなにかを踏みつけた。なんだろう、見下ろせば薄闇の中でわずかに光を反射するそれは何かの書類のようだった。見渡せば、そのあたり一帯が同様の状態だ。これでは光があったとしても、踏みつけずに歩く方が困難だろう。徐々に闇に瞳が慣れると、その空間のいろいろがわかってくる。移動式のキャビネットが倒れ、書類が散乱し、コーヒーカップだろうか陶器の割れた破片も見受けられた。
「気をつけたまえ、ジョミー。無闇に触れてはいけないよ」
「えっ」
書類に伸ばしかけていた手をジョミーは慌てて引っ込める。だが、ブルーはそう言ったきりジョミーに背を向けたまま、慣れた様子で散乱した書類の幾枚かを手に取り、片手では光の灯らないキーボードに指を走らせていた。
ぼくは、なにを、したら……?
ジョミーはブルーの背中と周囲を見比べた。無闇に触れてはいけないということは、無闇でなければいいのかな。だが、そうして触れたところで怒られそうな気もした。なんとはなしの予想ではあったが、欠片でも「ダメだ」と言ったことをブルーはなかなか許可しようとはしない。
思案しているうちに視界はなんとか薄闇にも慣れた。どうやら、そこは研究施設アウロラの艦橋のようであった。とはいえ、移動や戦闘を行う戦艦ではないアウロラにとって、艦橋とはすなわち研究の最前線であったのだろう。実験器具のようなものはなかったが、あらゆるデータが施設のあらゆる箇所から集められていたに違いない。
誰かの研究室、みたいな感じかな。ジョミーは踏みつけてはいけないと、割れたカップの欠片に手を伸ばした。その一つひとつを慎重に拾い上げていく。すると突然、その手元が明るくなった。咄嗟にジョミーは顔を上げる。目の前には青い星が一面に広がっていた。
「……眼下の星、エル太陽系第七惑星ターリアだ。どうやらこの研究施設ではターリアへの入植地化を計画していたようだね」
ブルーは明るくなった室内から倒れていた椅子を引き上げ、ゆったりと腰を下ろした。背もたれの高いアンティーク調の椅子はやんわりとブルーを迎え、キィキィとその身を撓らせる。
「じゃあ、この星には人類が?」
いや……。ブルーは片肘をつき、映し出されたモニターを物憂げに見つめた。紅いはずの瞳が映りこんだターリアで白んだ青色に見えた。
「失敗だったようだ。だからこそ、ここは放棄された」
「どうして」
「この星は、あまりに美しすぎた」
そう言ったブルーは、物憂げな表情は変わらないにも拘らず、いまにも泣き出しそうだとジョミーは思った。
美しすぎた……。ジョミーはモニターに映し出されたターリアを見つめた。緑がかった深いエメラルドブルーの海、そして更に深いふかい深緑の大地。それはブルーが求めて止まぬ地球にも似た、いや美しさだけであれば地球以上に美しい星だろう。
「美しさを保っているのには理由がある。見たまえ」
ひらりとブルーの手から一枚の書類がジョミーの手元へと飛んでくる。無作為に飛ぶそれをジョミーは掴み取った。
「この星の水は強い酸性なのだよ。それが約一週間というひどく短い期間で循環を繰り返している。そのため常に水は清らかで、冷たく、澄んだ色を保っている。そこに存在する大地も、育成する植物も、すべてが耐酸性の特別なものだ。そこに他の星で成された存在は入り込めはしない」
残念ながらこの星に我らは邪魔な存在なのだ。ブルーはそう言ってゆっくりと瞳を閉じた。きっとその瞼の裏には地球を思い浮かべているのだろう。
「だが、それでも諦めきれずに彼らもここで入植の方法を模索していたのだろう」
ついた肘に頭を凭れ、ちいさく息を吐く。おそらくこの部屋で研究を続けていた者も、次々と明らかになる入植不可能な事実に、度々そうして溜め息を吐いていたに違いない。人は人類もミュウも、青い星への憧れを思慕を決して捨てられはしないのだ。
ジョミーは手にしていた紙を投げ捨て、ブルーへと駆け寄り、その身体に抱きついた。
「ジョミー」
「連れて行くから。ぼくが、ブルーを地球に連れて行くから……必ず」
抱きついた腹にジョミーは顔を押しつけた。
「……ジョミー」やわやわとブルーの指先が後ろ髪を撫でる。
子どもを抱き上げるように上半身が胸元まで引き寄せられ、耳朶を甘噛みした唇でしっとりした吐息が耳腔へ吹き込まれる。
「さきに、先ほどの続きをしようか」
囁く声に、ジョミーはこくりと頷きで返した。