一日の最後に思い描くのは過去のことだ。
だが、それは14歳のあの日でブツリと途切れる。その切り口はまるで錆びたナイフで切ったように強引だ。
成人検査でその殆どが奪われ、その後に続く実験に次ぐ実験ですべてを失った。
だがその実験の日々すらバグのように曖昧になったことは幸いなのかもしれない。特に苛烈な虐待を受けたことは鮮明に覚えている。だが、それがいつのことで、どれほど続いたのかは正直なところよくはわからなかった。
ブルーは横たえた身体の脇から、片手を空に晒し、それを握り締める。
それは、この身が保てたことすら奇跡に思えるような、すべてが麻痺した日々だった。
「ブルー。まだ、起きてる?」
ベッドを囲む分厚いカーテン越しに控えめな声を聞いて、ブルーは上げた腕を傍らに落とす。
「……ジョミー」
名を返すと、波のようにカーテンが揺れひょっこりとジョミーが顔を出した。その顔つきは、この艦へ来たときよりも僅かに精悍さが備わったような気がする。
「ごめん。寝るところだった?」
「いや、いいよ。どうせぼくは眠るばかりなんだから」
否定をせずにそう返すと、ベッドの傍らに膝を落としたジョミーの顔が悲しく歪んだ。その子供のような態度に、少し嫌味な言い方だったと反省させられる。
「すまない、ジョミー。少し、……苛立ってたんだ」
その感情に名が付けられず、少し迷って「苛立ち」と説明した。だが、口に出してみればその単語がしっくりと抱いていた感情の型にはまる。
それはもう「過去」であり、記憶ではなく「記録」となったと思っていたのに、思いのほかそれらはブルーに根を張っているのかもしれない。
「ブルーもイライラする、の?」
いったいブルーのことをどう捉えているのだろうか。けれどその疑問は飲み込んだ。ジョミーに他意がないことはわかっている。
相手が長老たちなら冷たい視線でも返すところだろうが、ブルーは感情を殺さぬ程度に穏やかに言った。
「ぼくにだって、感情の起伏くらいあるさ」
調子の悪いときもね、と付け加える。するとジョミーは微かに喜びのような表情を見せ、だがすぐにしょんぼりと眉を落とした。
「ぼく、帰ったほうがいい?」
「なにを」
ばかな、と言いかけて止める。
ばかなのはブルー自身だ。
こんなにも今夜のジョミーはしおらしい。なにかあって、ブルーが眠っているかもしれないというのに、それでもここへやって来たのだろう。
いつものブルーであれば、おずおずとカーテン越しに声をかけられた時点で気付けるものだ。
自らの感情の波に流されて、気付けなかった……。
その事実は俄かにブルーの自尊心を傷つけた。それは過去の記憶とは対照的に鋭利な切り口で、ブルーに傷を付け、焦りを掻きたてる。
なぜ、気付けなかった。なぜ。
「ジョミー」
「……ん」
名を呼んだだけだというのにジョミーは腰を浮かせかける。咄嗟にブルーはその手首を掴んだ。
「ジョミー、だめだ」
「ブルー」
「だめだ、ジョミー」
あまりの動揺にそんな言葉しか出てはこなかった。ブルーは同じ言葉を呟きながら、片手で掴んだジョミーの手首に、もう片方の手を添えて引き寄せた。
「だめなんだ、ジョミー。行かないで、くれ」
気付けなかった後悔がブルーの不安感を煽る。まるで、過去へ還ったかのような強烈な心の動きに、唇が震えた。
「ジョミー……」
ジョミーがブルーの名を呼んでいた。だが、それすら耳を掠める程度にしか聞こえず、ブルーは懇願するようにジョミーの手首を額へ押し当てた。
「ジョミー、すまな、い」
謝罪の言葉を口にすると、唇に塩味が混じった。
泣いて、いる……。
僅かに冷えた涙が、頬を伝い落ちる。
「ブルー!」
絶叫に近い声で名を呼ばれた。そしてブルーの身体がぎゅっと締め付けられる。
「どうしたんだよ、ブルー」
「ジョミ、」
「変だよ、今日のブルー」
ブルーの言葉を遮って、ジョミーは耳元で叫び続ける。
「でも、ゴメン。なんか、嬉しい……!」
そう言うと、ジョミーはブルーの肩口に顔を埋めた。
それに対してブルーは何のアクションも起こせず。
ただ温かい体温に包まれて、ほう、と口から溜め息をゆっくり吐き出した。