ACT.07-1

 ドキドキと鼓動が速まる。だが反面、ジョミーの心臓は今にも止まりそうだった。

「どうしよう」

 額に冷や汗を滲ませて、ジョミーは立ち尽くす。一歩前には通りなれた青の間へ通じるドアがあった。だが、ジョミーにはそれがいつもよりも大きく重苦しく感じられる。
 ソルジャーのあんな言葉、初めて聞いた……。
 ブルーの声と共に思い出すと、また「どうしよう」の嵐がジョミーを襲ってくる。
 一歩踏み出せば、目の前のドアは開くだろう。そうすれば、その音や僅かな振動でブルーは目覚めてしまう。
 そこまで思い描けば結果は見えている。ジョミーはまたどうしようと呟いた。
 しかし、するべきことは思い悩んだところで変わりはしないということも、ジョミーはわかっていた。否、だからこそどうしようかと思い悩んでいるのだ。
 リオに様子を見に行ってもらおうか。
 だがそれでは思惑とは逆に事態を悪化させる可能性も高い。
 結論は出すべくもなく決まっている。覚悟を決めて行くしかジョミーにはないのだ。
 カラカラに乾いた唇でジョミーは息を飲み込み、目の前のドアを見上げた。
 行こう、そう思ってもどうしても一歩が踏み出せない。ジョミーは飲み込んだ息を吐き出した。
 ちょっとだけ、ちょっとだけならバレないかな。
 甘いささやきがジョミーの心をくすぐる。結果が変わらなければ、その過程を変えるしかなかった。

「それで行こう」

 緊張を解すように深呼吸を繰り返す。そしてジョミーはドアを使わず青の間へと潜り込んだ。

 

 忍び足しのびあし、と胸で繰り返しながらジョミーは進んだ。繰り返すごとに神経が張り詰めていく。心音すら、周囲へ響きわたっているような感覚を覚えた。
 そろりそろりと目的の場所へ近づくと、いつもとは異なる光景が暗闇へと慣れたジョミーの瞳に映りこむ。
 青白い間接照明は遠く、そこは闇に包まれていた。見慣れたベッドの中央には横たわる人影。いつも通りだ。だが、その表情は薄いヴェールがかかったように見ることができない。
 どうしよう。
 再び思い悩む。声をかけるべきか、それとも出直そうか。それとも、それとも……。頭の中をかき回しながら、ジョミーは手元のカーテンを握り締めた。

「……どうしたんだい。君の鼓動が激しすぎて、ぼくにも移りそうだ」

 突然声をかけられ、早鐘を打っていたジョミーの心臓は一瞬動きを止めた。
 その瞬間、視界が白く包まれる。
 一足先に動きを取り戻した瞳が視界を閉ざすが、瞼の裏がチカチカと点滅を繰り返した。
 握り締めたカーテンだけを頼りに、ジョミーはそれをやり過ごす。

「ジョミー」

 声だけが耳へと届いた。そしてざわりと布の擦れる音がする。

「……ソルジャー」

 そっと薄く瞳を開けば、身体を起こしたブルーがジョミーを見ていた。
 とっさに身体をカーテンに隠す。
 そうだ、ジョミーは相変わらず思念を垂れ流しの状態。反対にブルーは思念の変化に敏感なミュウの長。ドアを使おうが使うまいが、ジョミーの存在はバレて当然だ。
 ちょっとだけズルをするつもりが寧ろこれでは妙に思われてしまう。
 今頃それに思い至り、ジョミーの顔が赤くに染まった。

「ジョミー、出ておいで」

「や……イヤだっ」

 からかうような声がカーテンの反対側から届くが、ジョミーの口は恥ずかしさのあまり拒否の言葉を発してしまう。
 明るくなった空間は、暗闇に鎮座するような沈黙に包まれる。

「……ジョミー」

 今度は諭すような声色だった。
 呆れさせてしまっただろうか。ガタガタとジョミーの手が震え、後ろ手に握り締めたカーテンが揺れた。
 どうしよう……っ。
 先ほどまでとは全く異なる「どうしよう」がジョミーを包み込む。それは恐怖すら誘発してくる。
 と、とりあえず姿を見せないと……!
 全身へと広がった震えを押さえ込んで、ジョミーはそろそろとカーテンの端へと進む。
 瞳が涙に占領され、頼りはやはりカーテンだけだ。
 だが、あと少しというところで唐突にそのカーテンに身体が包まれる。

「出てきてくれないから、ぼくから来てしまったよ」

 陽気に微笑んだブルーが顔を覗かせ、そのまま背後から頬へと唇が触れた。
 あまりのことにジョミーの身体は固まったまま動けない。

「ぶ、ブルー」

「どうしたんだい? 」

 こんなに身体を震わせて、とブルーはジョミーの身体を優しくカーテンごと抱きしめた。
 柔らかな布地と胸へと回るブルーの腕の優しい感触にジョミーはぐっと身体を強張らせる。居た堪れなくて、情けなくて、もう泣きそうだった。

「怒ってない……の?」

「ぼくが? なにを?」

 するりと抱きしめる腕が解かれる。ブルーの反応は優しかった。だが、だからこそ怖くてジョミーはブルーを振り返ることができなかった。

「…………」

 無言ともに聞こえたブルーの溜め息。
 やっぱり、呆れられた……。
 再び震え始めた肩にブルーの指先が触れ、ジョミーはびくりと大きく反応する。

「ジョミー、こっちを向いて」

 ジョミーが首を振ると、肩のブルーの手に力が込められた。そしてブルーはもう一度、ジョミー、と今度は強めの口調で名を呼んだ。
 それにもジョミーが振り向かないと、強引に肩が引かれる。
 そして無理やり振り向かされたジョミーの瞳に映ったのは、ブルーの切なげな微笑みだった。

「……やっぱり、泣きそうだ」

 頭を両手で引き寄せられ、ブルーに抱きしめられる。髪に指が差し込まれ、まるで泣き出した幼児へ、いいこいいこ、とするように撫でられた。

「怒ってないの?」

「だから、なにをだい?」

 額と額をあわせて視線を交わす。だが、問われてジョミーは視線を床へと落としてしまった。
 そして視線を低空飛行させながら、ジョミーは小さく口にした。

「お仕置きだって、言ってたから……」

「ぼくが?」

「シロエも、ピーターパンは叱られるんだって言ってたし」

 そこまで言って、ゆるゆると視線をあげると、ブルーはなにかを思い出すように瞳を閉じて眉を寄せていた。
 もしかして、怒りを思い出させるようなことをしてしまったのだろうか。ジョミーはどうしていいのかわからず、ただブルーを待った。
 そしてすぐに、ああそうか、とブルーは瞳を開いた。

「ジョミー」

 耳の後ろあたりにあったブルーの手がするりと移動して顎をとられる。そして、ばかだね、の言葉とともに軽く口付けられる。

「確かにぼくは、叱るとも、お説教だとも言ったが、お仕置きとは言っていないよ」

 ブルーは笑っていた。
 その光景に続いて、ゆっくりと言葉がジョミーの頭へ理解されていく。

「お仕置き……、じゃない?」

「そんなにお仕置きされたいのかい?」

 未だ混乱したままのジョミーを置いて、ブルーは「それは仕様がないね」と笑ってジョミーを抱きしめた。

「ま、待ってよ。ええと」

「待たない。そんなにお仕置きされたいなら、キスをさせてくれないかな」

 ジョミーの要求への拒否と、自分の要求だけを口にして、ジョミーの答えも聞かぬままブルーはジョミーへと口付けてくる。
 ブルー!
 思念波で呼びかけるが対応はない。
 争うように体勢を移し、二人してベッドへと倒れこむと、そこで初めて唇が離れた。

「ブルー!」

「ああ。ちゃんとあとでお説教もするからね、ソルジャー・シン」

 そして覆いかぶさるようにブルーはお仕置きを再開した。

written by ヤマヤコウコ