ACT.08

 ゆるやかな螺旋状の通路を落ち着いた足取りで進んでゆく。周囲に足音が妙に響くのは通路の下に広がる水のためだろう。
 ふと思い出して通路の端へしゃがみ込み、水面を覗き込む。
 あのとき、なぜ自分が反抗すらせずに彼らの言葉を信じたのか、未だに解らない。特にあの頃の自分はませていながら血気盛んで、どうしようもなかったはずだ。
 本当にあの頃を思い出すと顔が赤くなるほど恥ずかしい。あんなにいい両親に育てられて、どうしてあんなだったのだろう。
 そこまで考えて、その思考通路を翻す。
 今思い返しても、あの両親は自分に甘すぎた。だから、あんな風に育ってしまったのだろう。
 だが恥ずかしくはあっても恨む気持ちは微塵もなく、温かな記憶が胸へ次々と蘇ってきた。
 くすっ、と唇から笑いが漏れた。

「水面はそんなにおもしろいかい、シロエ」

 顔をあげるとこれから会いに行くはずだった人がふわりとそこで笑っていた。

「ブルー、起きていたんですか」

 ブルーは微かに微笑んで「数日ぶりだね」と軽く言った。しかし、日毎に眠る時間の長くなるブルーの起きている姿に合うのは本当は数週間ぶりだ。
 また、あの人は嘘を言ったな。
 ブルーへの気遣いなのか、それとも彼のほうが日付感覚を失っているのかは知らないが、ジョミーはこうしてときどき嘘を言う。
 そのしわ寄せを食うのがぼくだってわかってるのか、あの人は。
 ブルーに気付かれないように小さく溜め息を吐いて、シロエは立ち上がった。

「とりあえず、ベッドへ戻りましょう」

「ああ」

 促すとブルーはシロエに背を向け、ゆっくりとベッドへと歩み始めた。その背中は細く、まるで身体が透けているかのように儚い。
 もうすぐ背だって追い越せそうだ……。
 嬉しいような切ないような感情がシロエを包み込む。それを知ってか知らずか、ブルーは懐かしむように口を開いた。

「あのときも、君は水面を覗き込んだね」

「……え」

「シロエがシャングリラに来たときのことだよ」

「ああ、ジョミーが無理やりね」

 シロエがあえて不満そうに言うと、ブルーも、そうだね、と笑った。

「ジョミーはぼくが無理やり連れてきた。でも、君のほうが優秀だったかもしれない」

 それは思念波のことだろう。なんといっても、未だにジョミーはほとんど思念を垂れ流しの状態だ。
 それに比べてシロエは思念を察知するのは苦手だったが、垂れ流すことはまったくなかった。思念の察知だって今ではシャングリラのトップクラスだ。それを知っているのはジョミーとブルー、そしてヒルマン教授くらいだけれども。

「ハリネズミだっただけですよ」

「ジョミーがそう言ったんだったかな」

 ええ、とシロエは答える。
 シャングリラに来たとき、最初に行われたのは思念波の訓練だった。新米ソルジャーだったジョミーと共に訓練を受けさせられ、長老たちから思念波について揶揄嘲弄されたときにジョミーがそう言った。
 だが正直なところ、それは的を得た例えだったと思う。もともと同年の友人たちを見下しがちで、両親以外に心を開くことなどほとんどなかった。
 そしてシャングリラに来たことで、そこへ疎外感が足された。
 同年代のカリナたちとも一線を引き、シロエはこの青の間に足繁く通った。時折ジョミーと遭遇してはブルーの枕元を争ったりもした。
 ブルーもちょうどそのあたりを思い出したのか、肩がかすかに笑いで揺れる。

「ノルディとはどうだい」

「ああ、あの人最近は仕事をぼくに任しっぱなしでのんびりしていますよ。最近は医務室の利用者もほとんどいませんけど」

 青の間ともう一箇所、幼いシロエが通ったのが医務室だった。医師のノルディは看護士を弾き飛ばしたシロエを疎むことなく、むしろ喜んで招き入れた。
 怪我をさせた看護士を見舞ううちにシロエもその場所に居ついてしまった。

「君のような優秀な人材が来て、彼も安心しているんだろう」

 そしてシロエはいつの間にかノルディの元で医療の仕事を学んでいた。どういった過程だったかはやはりあまり覚えていないが、機械弄りが好きだったシロエにとって医療器具は工具のように手に馴染んだ。今では医務室にある医療器具のメンテナンスはほとんどシロエの手によるものだ。
 そして機械よりも複雑未知な人体は未だにシロエの興味をそそってくる。

「まだ、未熟です」

「完璧な者などいないさ。君はよくやっている」

 眩しいばかりの灯りに照らされたベッドへブルーが腰を下ろす。シロエはベッドの傍で足を止め、そのブルーを見つめた。
 白兎のような赤い瞳がシロエを向いてアーチを描く。柔らかく優しく、けれど信頼と尊敬のできるソルジャーの顔だ。
 結局、ぼくはこの人の威厳ってヤツに丸め込まれたんだろう。
 それは多かれ少なかれジョミーにもあり、だから反抗をしなかったと思えば、不満はありつつも納得がいく。

「シロエ」

「はい」

 ブルーの顔が一瞬にして切なく儚く揺れる。こんなときは必ず同じ言葉を言うのだ。
 シロエは言いなれた言葉を用意してブルーを待った。

「ジョミーを頼むよ」

「あんな頼りない人、嫌ですよ。ブルーに任せます」

 ブルーは笑った。

written by ヤマヤコウコ